縄文時代になると、狩猟用の道具として旧石器時代から使われていた石槍(いしやり)に弓矢が加わった。ほかにも、土を掘るときに使用する打製石斧、皮をなめすときに使うスクレイパー、皮に穴を開けるときに用いる錐(きり)などの道具がある。そのほとんどは、地元で得られる石材を加工して作ったが、まれに黒色でガラス質の黒曜石(こくようせき)が出土する。郡山館遺跡で出土した旧石器時代の石器がそれであり、縄文時代遺跡でもわずかに出土する。黒曜石は、産出する場所が近くとも宮城県北部の湯(ゆ)ノ倉(くら)や、栃木県那須の高原山(たかはらやま)であるため、活動範囲を広げないと入手できなかった石材である。
石器とともに装身具に利用された石にヒスイがあげられる。ヒスイは、主として胸元を飾る装飾品で、新潟県・富山県の県境付近に限って産出する石である。見るからに宝石らしい濃緑色(のうりょくしょく)のものから、一見、宝石にはほど遠い白色のものまであるが、西田町馬場中路(にしだまちばばなかみち)遺跡で出土したものは、形は丁寧(ていねい)に作られているものの白色の大珠(たいしゅ)である。縄文時代の人びとは、石材は雑(ざつ)なものであれ、ヒスイという石そのものに共通した価値を見いだしていたようである。