縄文時代に新たに登場した石鏃(せきぞく)は、矢柄(やがら)(矢の幹の部分)の先に装着して使うが、そのときに、接着剤として使われたのがアスファルトである。新潟県胎内市(たいないし)では現在でもアスファルトが地上ににじみ出ている地点があるように、新潟県や秋田県など日本海沿岸の一部で産出する。逢瀬町の四十内遺跡では土製の耳飾りに入れたアスファルトや、根元にアスファルトが付着した石鏃が出土している。鏃(やじり)と柄を接着するのに用いたのである。
縄文時代の人びとは、住居の建設や修理に必要な資材、籠を作るための繊維質植物、これらを切ったり削ったりする道具の石材、土器を製作するための粘土など、日常生活を送るために必要な物資のほとんどは、集落の周辺で手に入るものを利用した。しかし、すべてが手近な場所でまかなえたわけではない。縄文時代は、日常生活を送る上で必要な物資は生活圏内で確保することを基本としつつも、隣接する集落同士のネットワークを通して、時には遠隔地(えんかくち)から必要な物資や情報を入手していたとみられる。
このように、隣接する地域どおしを最小単位とした、物資や情報の交換、人の行き来などでそれぞれの集落が結びつく関係が広い範囲に及び、結果として、縄文という類似した文化が日本列島に展開したと思われる。
(柳沼賢治)