1 稲作の始まり

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 1884(明治17)年に東京本郷弥生(やよい)町(現在の文京区)で薄手(うすで)の壺形土器(つぼがたどき)が発見された。この土器は、それ以前に知られていた大森貝塚の貝塚土器(縄文土器)とは特徴が異なるため、弥生式土器と呼ばれ区別されていたが、昭和になって、稲作をしていた人びとが使用した土器であることがわかった。弥生時代という名称は、この土器の出土地にちなんでつけられたものである。

 弥生時代が縄文時代と違うのは、稲作農耕を始めたことにある。その起源(きげん)は、インド北東部のアッサム地方とそれに隣接する中国の雲南(うんなん)省と考えられてきたが、近年では中国揚子江(ようすこう)の中・下流域にもっとも古い資料が集中することから、この地域が有力視されている。稲作の技術やこれに関連する文物は、発祥地(はっしょうち)から中国北東部に広がり朝鮮半島を経由して、紀元前300年ごろに九州北部に伝わったと考えられている。以後、この時代は古墳が出現する西暦200年代の中頃まで続く。