東北の弥生時代研究は、1925(大正14)年、山内清男(やまのうちすがお)が、宮城県多賀城市の桝形囲貝塚(ますがたがこいかいづか)から出土した土器の底部に、イネの圧痕(あっこん)があるという論文を発表したことに始まる。その後、1982(昭和57)年〜1983年にかけて調査された、青森県垂柳(たれやなぎ)遺跡の発掘で中期の水田が発見され、稲作が確実視されるに至った。
郡山では、1969(昭和44)年に東北大学が調査した大槻町福楽沢(ふくらざわ)遺跡で籾痕(もみこん)のついた弥生土器が出土していた。この成果は、水田発見までに積み上げられた状況証拠(じょうきょうしょうこ)の一つと言える。