採集・狩猟・漁労を中心とした縄文時代と、稲作農耕を取り入れた弥生時代では、生活様式が異なるため出土する道具などに違いが見られる。生活全体の中で、稲作とその作業がどの程度の比重を占めていたかは定かでないが、水田跡の発見やこれと関係する道具の出土によって、東北でも弥生時代に稲作が行なわれていたことを知ることができる。
いわき市番匠地(ばんしょうち)遺跡や中山館(なかやまだて)跡では中期後半の水田跡が発見されている。また、福楽沢遺跡や田村町大安場(おおやすば)古墳の発掘調査では、木製農耕具を作るために、木の伐採(ばっさい)や加工をするのに使用された太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)が出土している。この道具は、稲作とともに大陸から伝わったものの一つである。さらに、三春町吉田遺跡、三穂田町、田村町南山田遺跡などの阿武隈山系や郡山盆地では、稲の穂を収穫するときに使う石包丁(いしぼうちょう)が出土しており、このような道具も大陸からもたらされたものである。
弥生時代になると、新たに鉄が加わったとされるが、東北で鉄器が出土した例は極めて少ない。福島県では、須賀川市松ヶ作(まつがさく)A遺跡の小刀のような鉄製品(前期後半~末)やいわき市白岩堀ノ内(しらいわほりのうち)遺跡で鉄製の銛(もり)(中期後半)が出土している程度である。土の中では残りにくい鉄製品ではあるものの、この地域では、多くの集落で鉄が日常的に使用された痕跡は認められない。