1 新たな古墳の発見

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 平成22年、田村町にある守山城の発掘調査で直径が約20mの古墳(守山城三ノ丸1号墳)が発見された。円の三分の一程しか確認できなかったため正確な形はわからないが、6世紀の後半頃に築造されたこと、埋葬施設が横穴式石室であること、阿武隈川右(東)岸にも埴輪を立てた後期古墳があったこと、出土した埴輪は、北関東や阿武隈川上流域や、いわきの特徴をもっていることなどが明らかになった。

 これまでに知られていた郡山盆地の後・終末期古墳には、6世紀後半築造の大槻町にある麦塚(ばくづか)古墳(前方後円墳、全長26.8m)や7世紀前半に築造された安積町渕の上1号墳(円墳か、直径20m)などがある。

 麦塚古墳は、埴輪を立てた郡山を代表する後期の有力古墳である。渕の上一号墳は、群馬県高崎市の綿貫観音山(わたぬきかんのんやま)古墳やいわき市の金冠塚(きんかんづか)古墳などに類似する冑(かぶと)などが出土していることで有名である。

 これまでは、麦塚古墳や渕の上1号墳の存在から、後期に阿武隈川の左(西)岸に政治勢力が集約され、それが奈良時代の政治拠点である郡衙(ぐんが)(陸奥国安積郡の役所、清水台遺跡)に受け継がれていくと考えられた。しかし、守山城三ノ丸1号墳の発見で、古墳時代後期の郡山盆地には阿武隈川の両岸に二つの政治勢力があったことが明らかになった。

 古墳時代の郡山盆地が、その後どのような経緯を経て一つの郡に集約されていったのかという、歴史の推移を理解する上で新たな課題が提起されたと言える。


守山城三ノ丸1号墳と円筒埴輪


麦塚古墳出土の円筒埴輪


復元された冑(かぶと)


渕の上1号墳の石室