郡山市にある遺跡のうち、奈良・平安時代の遺跡として登録されているのは、約440ヵ所である。古墳時代の遺跡数は約210ヵ所であるから、およそ倍増したことになる。遺跡が立地するのは、阿武隈川をはじめとした河川流域の平地や丘陵地が中心である。遺跡の立地は、古墳時代と奈良・平安時代とで大きな違いは認められない。それは、いずれの時代の社会も、稲作に代表される農業を基盤としていたからだと考えられる。
ただし、古墳時代にはほとんど遺跡の存在しなかった山間地などにも、小規模な遺跡が営まれるようになる。遺跡数の増加は、主にこのような遺跡の出現を反映しており、山間地の開発の進展したことが分かる。722(養老(ようろう)6)年、東北地方の耕地開発を奨励する法令が出される。8世紀における遺跡数の増加に、この法令の影響を読み取る見解もある。
遺跡の数は、奈良・平安時代を通じて一定していたわけではなく、時期により増減がある。遺跡数が最も多くなるのは、8世紀末頃から9世紀中頃の平安時代前期である。9世紀後半には減少に転じ、11世紀中頃の平安時代中期を最後に認められなくなる。ただしそれは、遺跡が消失したのではなく、それまでとは遺跡の立地が大きく変化し、存在しているはずの遺跡が、把握できなくなったに過ぎないと考えられる。この時期に、社会の基盤が大きく変化したことがうかがえる。
遺跡の多くは、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)や掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)などから構成される集落である。田村町山中の東山田遺跡(ひがしやまだいせき)、安積町成田の西前坂遺跡(にしまえざかいせき)などは、郡山市を代表する集落遺跡である。集落は大別すると、比較的長く継続する大規模なものと、継続する期間の短い小規模なものがある。このうち大規模な集落は、地域の拠点となる集落と考えるのが一般的で、東山田遺跡や西前坂遺跡はそのような集落である。一方で、継続する期間が短く小規模な集落を、拠点的な集落に対する派生的(はせいてき)な集落と捉えたり、拠点的な集落との間で、生業の分業などといった関連を想定する見解がある。
奈良・平安時代には、集落の他にも役所や寺院、生産に関係する遺跡などがある。役所や寺院の遺跡の代表は、清水台遺跡である。詳しくは次項で解説するが、発掘調査によって、古代安積郡の郡家(ぐうげ)の一端が明らかになっている。また、生産に関係する遺跡には、瓦や土器の生産、鉄の生産に関係する遺跡などがある。
奈良・平安時代の行政区画は、国(くに)・郡(ぐん)・郷(ごう)(715〔霊亀(れいき)元〕年までは里)からなる。このうち郷は、50戸で構成すると決められていた。1戸は20~30人からなるから、1郷の人口は1,000~1,500人程度である。集落に暮らした人々の多くは、戸の一員であったと考えられる。戸によって構成される郷が、集落遺跡と無関係であったとは考え難く、郷の位置を把握するのに、集落遺跡の分布はある程度の手掛かりを提供すると判断できる。
下の図に示したのは、安達郡分置後の安積郡の範囲にある遺跡の分布状況である。一見して明らかなように、遺跡の分布には粗密(そみつ)がある。特に顕著なのは、現在の郡山市中田町や田村郡三春町から田村市・小野町におよぶ、阿武隈山地における遺跡の疎(まば)らさと、遺跡の規模の小ささである。その一方で、阿武隈川沿いの地域や、谷田川の西岸・東岸域、笹原川・逢瀬川・藤田川の流域には比較的多くの遺跡が認められ、規模の大きな遺跡も多い。図中に着色してあるように、中でも谷田川の西岸域と東岸域は、そのような傾向が著しい。安積郡の各郷は、遺跡が濃密に分布し、規模の大きな遺跡が多く存在するこれらの地域を中心に設定されていたと考えられる。
『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』は、安達郡分置後の安積郡の郷として、入野・佐戸・芳賀・小野・丸子・小川・葦屋・安積の8郷を記載する。各郷の確かな位置は不明ながら、現代の地名との一致によって、芳賀郷は郡山市芳賀、小川郷は郡山市田村町小川(こがわ)、小野郷は田村郡小野町を、それぞれ含む地域であったと考えられる。このうち小野郷は、阿武隈川水系ではない夏井川流域の郷であり、地形的に他郷と区別できる。
小野郷と同じように、奥羽山脈によって地形的に区別できる郡山市湖南町にも、奈良・平安時代の遺跡が存在する。この地域が、奥羽山脈東側の郷に含まれていたのか、単独で郷を構成したのかは判断が難しい。確認されている遺跡数が極端に少ないことと、後の時代の中世に成立する郷である中郷と南郷が、奥羽山脈の東西にまたがって広がることなどは(「相殿八幡神社文書」)、前者の考え方を支持する。一方で、古代の郷は中世の郷に直接的には継続せず、再編されているとする認識もあり、後者の考え方も完全には否定できない。
〈参考文献〉
垣内和孝『郡と集落の古代地域史』 岩田書院 2008年
郡山市編『郡山市史』第一巻 郡山市 1975年
郡山市編『郡山市史』第八巻 郡山市 1973年