3 再び太田原合戦

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 4月、蘆名勢が二階堂勢と「安積衆少々」を伴い「七百騎」となって、太田原に信夫郡大森城主片倉景綱(かげつな)及び成実と戦った。高倉義行が成実等に連携する(郡388)。政宗は定綱の降参によってかかる事あるを予想し、郡山頼祐に高倉城への「助懸(すけがけ)」を要請している(7)。

 蘆名勢等は伊達勢の追撃を受けつつ前田沢まで退き、片平「助右衛門老母を証人に取」って引き上げた(8)。蘆名勢は定綱降参を知って親綱の人質を取るために出兵し、ついでに武威を示したものと成実はいう(郡388)。親綱は「片平近所の他郷共45ヵ所望んで」政宗の内諾を得つつも、伊達方たるの旗幟(きし)は明らかにしていない(2)。

(高橋明)

注 (2)「政宗記」 (7)郡山家文書『仙台市史資料編10』243 (8)留守家文書『仙台市史資料編10』248