戦国時代の田村郡は三春に本拠を構えた田村氏が、田村地方のほぼ全域を支配していた。しかし、田村氏は豊臣秀吉の奥州仕置により改易(かいえき)となり、田村地方は会津領に含められた。会津は蒲生(がもう)氏・上杉(うえすぎ)氏などの支配が続くが、関ヶ原の戦後に上杉氏が米沢に移封すると、再び蒲生氏が会津を支配した(再蒲生)。1627(寛永4)年3月、蒲生氏に替わり会津には伊予松山から加藤嘉明(よしあきら)が会津入封する。この時、三男加藤明利(あきとし)が三春(3万石)へ、娘婿松下重綱(まつしたしげつな)が二本松(5万石)に封じられる。
しかし、松下重綱が二本松入封の年の10月2日に死去すると、嫡子長綱(ちゃくしながつな)は翌1628(寛永5)年1月に三春城へ、加藤明利は二本松城へと交換となる。
1644(寛永21)年4月、松下長綱は改易となり、城地没収の上で土佐(とさ)藩主山内(やまのうち)家(長綱夫人の実家)に預けられる。松下氏(3万石)の治政は17年間で、松下氏支配領は幕府領となり、幕府代官の支配となった。