1627(寛永4)年、丹羽長重が棚倉より白河藩へ移封された。領地は白河・石川・岩瀬・田村の四郡におよんだ。この時郡山地域で白河領に編入されたのは、中田町で柳橋、中津川、田村町では谷田川(やたがわ)、栃本(とちもと)、糠塚(ぬかづか)、栃山神(とちやまかみ)、田母神、川曲、上道渡(かみみちわたし)、下(しも)道渡の合計10ヵ村で、1741(寛保元)年まで続く。同年11月、前記10ヵ村のうち、田母神、糠塚の2ヵ村が幕府領に編入、残りは越後高田藩領に編入されるが、1747(延享4)年に田母神は常陸笠間藩領となる。また、越後高田藩領となった8ヵ村は1809(文化6)年に越後高田藩預領として、さらに1820(文政3)年6月からは幕府領として幕府代官所支配下に置かれる。つまり、中田・田村の10ヵ村の内9ヵ村は幕府領、田母神村のみ笠間藩領として明治維新を迎えるのである。
(大河峯夫)
(参考文献)
『三春町史』
『二本松市史』
『郡山市史』