1700年(元禄13)に成立した守山藩は、御本家水戸藩同様に定府制(じょうふせい)(江戸居住)で、藩主以下家臣達は江戸小石川字大塚の江戸藩邸に居住し、参勤交代で領国に下ることはなかった。領地は、陸奥田村郡内26ヵ村(のち、分村があり31ヵ村となる)を本領とし、常陸行方郡(11ヵ村)、鹿島郡(15ヵ村)、茨城郡(8ヵ村)に分領を持つ、石高2万石の小藩である。
守山藩の藩政は、藩主以下藩士達が住む江戸藩邸で行われ、陸奥領に守山陣屋(現郡山市田村町守山)、常陸領に松川陣屋(現茨城県東茨城郡大洗町松川)を置き、それぞれの陣屋には郡奉行(こおりぶぎょう)以下数名の藩士を派遣して領内の支配をおこなっていた。
陸奥守山藩領の守山陣屋支配下の村は守山、岩作、大供、金沢、山中、正直、御代田、徳定、大善寺、金屋、小川、上行合、下行合、手代木、横川、大平、蒲倉、荒井、白岩、下白岩、安原、阿久津、南小泉、北小泉、上舞木、下舞木、山田、根木屋、木村、芹沢、三城目の31ヵ村で、これらの村々は行政区として上郷(かみごう)と下郷(しもごう)の二郷(上・中・下郷の三郷の時もあった)に区別された。また「山通り」と「川通り」の村々とした区別もあった。