守山陣屋には郡奉行以下、代官方(だいかんかた)(領内の治安関係)、郡方(こおりかた)(年貢などの財政関係)の役目を勤める陣屋詰の藩士(3~4名)が江戸藩邸から派遣され領内の支配をおこなっていた。この他、押(おし)・新組(しんぐみ)・郷足軽(ごうあしがる)、横目(おうもく)、御駒役(おこまやく)とよばれる陣屋詰の者がいた。押・新組・郷足軽は陣屋御用向の仕事で年貢の収納や普請・捕り物の下役、廻米の才料などを勤め、御山横目役は御用林の管理、御駒役は馬産関係の仕事をした。いずれも領民から登用された者で、この他陣屋と領民の間にあって、出願などを取り継いだ取次役(とりつぎやく)、代官方の配下で治安関係の役目の者もいた。
守山詰藩士(陣屋役人)の勤務は月番制(1ヵ月交代)で、月番の者は朝10時に出勤し、用務がない時でも、午後2時までは詰めなくてはならないとされていた。なお、「守山藩御用留帳(もりやまはんごようどめちょう)」は、陣屋詰役人が日誌風に領内支配の様子や出来事を年度毎に記した簿冊で、陣屋支配や領民の生活実態を知る貴重な資料として残されている。また、守山藩では領民の藩への献金・献納に対して、献金額に応じて郷士への登用を含む、苗字帯刀・上下羽織着用御免等々の特権を与えている。特に幕末期になると郷士登用の事例が多くなる。藩では郷士を御徒士(武士)席扱いとして、役目として鉄砲組に編入し領内及び陣屋警固の役に当たらせていた。郷士は普段から陣屋の御警衛役をも任され、陣屋への出入りは自由であった。