1798年(寛政10)年、高田藩分領(白川・石川・岩瀬・田村郡の122ヵ村)の農民が浅川陣屋(じんや)へ詰める騒動が起こった。一揆の頭取は、24日の晩に相談があるので、村々の家主は斧(おの)・鉈(なた)・鎌を持って社八幡館(やしろはちまんだて)(社)に集るように呼びかけ、一揆に参加しない村は残らず火を付けると強要した。一揆への参加は金山組の村々から行われた。
集まった一揆勢の時の声は山々に響いた。それより、金山村の大庄屋宅を打ち潰し、続いて深仁井田村へ押し寄せ、次に栃本村の大庄屋・問屋を、二子塚村の庄屋等を打ち潰し、滑津村へ押し寄せた。一揆は正月24日から同月27日まで続いた。
一揆の原因は、1797年の悪天候と大庄屋(おおじょうや)や諸役人の悪政にあった。そのため、領内の大庄屋をはじめ駒付・庄屋等の家が打ち壊しをうけた。中田地域では第3表の者の家が打ち壊された。栃本村では百姓2軒が打壊しにあった。
4月に一揆の頭取23人が捕えられ処罰された。同年2月9日に、領内の庄屋・組頭、長百姓の2名ずつが、浅川陣屋へ呼び出され、騒動の罰として100石につき銭2貫文ずつの過料銭(かりょうせん)を言い渡された。栃本村では、31名に8貫979文が課せられ、一揆は村全体の責任とされた。
(柳田和久)
村名 | 役職 | 名前 |
---|---|---|
谷田川村 | 大庄屋 | 力丸市郎右衛門 |
栃本村 | 大庄屋 | 根本八左衛門 |
柳橋村 | 大庄屋 | 遊佐順蔵 |
栃本村 | 庄屋 | 佐久間庄右衛門 |
中津川村 | 駒付 | 村上良蔵 |
下道渡村 | 庄屋 | 角左衛門 |
栃本村 | 百姓 | 庄蔵 |
上道渡村 | 庄屋 | 丈左衛門 |
上道渡村 | 百姓 | 杢右衛門 |
栃本村 | 百姓 | 2軒 |
柳橋村 | 百姓 | 庄蔵 |
(『表郷村史』第2巻資料編P659)
(参考文献)庄司吉之助『史料東北諸藩百姓一揆の研究』
『郡山市史』第2巻・第8巻
『表郷村史』