安積郡の諸原野は、安積開拓までは荒地であった。それは、笹原川・逢瀬川・藤田川・五百川の川底が低いため水を取り入れることができず、水の便が悪いため開発できなかったと記載する本をよく見かける。それは基本となる資料を調べないで、『安積事業誌』や同書を種本とする本を孫引きしているために起こる誤りである。
安積郡を流れる河川には、江戸時代には多くの堰(せき)を設けて水を取り入れている。第1表は阿武隈川と阿武隈川へ流れ込む河川に設置された堰の数と灌漑反別を表にしたものである。笹原川には22の堰があり196町歩を潤している。逢瀬川には9の堰があり457町歩を、藤田川には24の堰があり311町歩を、五百川には9の堰があり657町歩を、谷田川には47の堰があり543町歩を潤している。このように、各河川には多くの堰を設けて用水を取り入れており、これらの堰は江戸時代にはすでに設置されていたのである。
川名 | 堰数 | 灌漑反別 |
---|---|---|
阿武隈川 |
23 |
町歩 3,496 |
谷津田川 | 6 | 80 |
二枚橋川 | 7 | 466 |
社川 | 28 | 1,113 |
石川川 | 4 | 26 |
釈迦堂川 | 31 | 470 |
隈戸川 | 15 | 456 |
江花川 | 16 | 688 |
滑川 | 15 | 436 |
笹原川 | 22 | 196 |
谷田川 | 47 | 543 |
大瀧根川 | 8 | 334 |
逢瀬川 | 9 | 457 |
小泉川 | 13 | 64 |
藤田川 | 24 | 311 |
五百川 | 9 | 657 |
石筵川 | 1 | 35 |
安達太良川 | 6 | 160 |
杉田川 | 7 | 152 |
油井川 | 4 | 351 |
小瀬川 | 16 | 138 |
口太川 | 11 | 133 |
後川 | 54 | 77 |
須川 | 3 | 239 |
天戸川 | 3 | 247 |
荒川 | 6 | 1,331 |
松川 | 14 | 1,477 |
摺上川 | 4 | 1,193 |
小川 | 5 | 356 |
広瀬川 | 22 | 1,037 |
瀧川 | 5 | 127 |
白石川 | 4 | 1,031 |
荒川 | 1 | 100 |
合計 | 443 | 17,977 |
(福島県庁文書F2392)
堰の築造年代は不明なものが多いが、下伊豆(しもいず)堰は1660(万治3)年に藤田川の水を分水するため、下伊豆島村に設置された堰で、下伊豆島村と富田村で使用している。安子島堰は1656(明暦2)年に、五百川の水を分水するため安子島村に設置された堰で、高倉・梅沢・日和田・早稲原・堀之内・前田沢・下伊豆・上伊豆・安子島の9ヵ村の灌漑に使用している。
南川は、多田野村の岩色(いわいろ)堰で多田野川(休石川)を分水した川である。岩色堰は1631年から1643(寛永8~同20)年の間に、南川の水量を多田野村4分、大槻村6分とする事を決めていることから、岩色堰の築造は古く中世後期と考えられる。江戸時代には、南川は多田野村・大槻村だけでなく、郡山村・小原田村・日出山村へ流して用水として用いている。
河内村には逢瀬川の水を分水する一ノ堰・猫神堰・藤内打堰(とうないうち)・牛蒡沢(ごぼうさわ)堰・ざる内堰があり、いずれも1687(貞享4)年に、夏出村の高堰は1736(元文元)年にはすでに設置されている。安積郡成田村の島川原堰(成田堰)は、1804(文化元)年に荒井村・日出山村と成田村とが争論を起こしている。島川原堰で分水した水は荒井村・日出山村を流れているが、荒井猫田(あらいねこた)遺跡(ビッグパレット辺り)の発掘調査により、その川の川底から中世の木簡(もっかん)が出ているので、中世に造られた水路の可能性がある。
村々には、堰より引いた水を溜めておく池がある。『相生集(あいおいしゅう)』によると、1830年から1843(天保年間)年には安積郡の村々には368、西安達郡に227、東安達郡に312の池があった。安積郡村々の池数は第2表のとおりである。
組名 | 村名 | 池数 |
---|---|---|
郡山組 | 郡山町 | 9 |
小原田村 | 5 | |
日出山村 | 0 | |
笹川村 | 6 | |
久保田村 | 4 | |
福原村 | 4 | |
日和田村 | 9 | |
高倉村 | 8 | |
八丁目村 | 14 | |
梅沢村 | 8 | |
八山田村 | 33 | |
横塚村 | 2 | |
笹原村 | 0 | |
荒井村 | 4 | |
小計 | 106 | |
片平組 | 片平村 | 69 |
河内村 | 7 | |
夏出村 | 0 | |
長橋村 | 6 | |
富田村 | 37 | |
早稲原村 | 9 | |
堀ノ内村 | 8 | |
前田沢村 | 6 | |
上伊豆島村 | 7 | |
下伊豆島村 | 10 | |
安子ケ島村 | 14 | |
小計 | 173 | |
大槻組 | 大槻村 | 18 |
多田野村 | 18 | |
山口村 | 8 | |
大谷村 | 4 | |
八幡村 | 2 | |
駒屋村 | 4 | |
川田村 | 7 | |
成田村 | 4 | |
野田新田 | 6 | |
鍋山村 | 6 | |
富岡村 | 7 | |
下守屋村 | 3 | |
小計 | 87 | |
合計 | 366 |
(『相生集』より作成)
郡山町(郡山村は1824年に村から町になる)の細沼・皿沼は江戸時代以前の築造と考えられる。上ノ池(現五十鈴湖)は1653(承応2)年に、下ノ池(元豊田浄水場)は1656(明暦2)年に、葉木沢(はのきざわ)池は1685(貞享2)年に、荒池は1662(寛文2)年に。小原田村の逆蓋池は1681(天和元)年に、五百渕は1707(宝永4)年に。久保田村の善宝池は1649(慶安2)年に、金堀池は1683(天和3)年に、空谷地池・葉山池は1685(貞享2)年に、福原村の宝沢沼は『政宗記』『伊達日記』の郡山合戦に記載されているので、1588(天正16)年にはすでに築造されていた可能性がある。戸井田池・泉崎池は1649(慶安2)年に、宗角坊池は1652(承応元)年に、左内池は1663(寛文3)年に、勝木沢池は1687(貞享4)年に築造された。日和田村の境田新池は1686(貞享3)年に、六反目池は1694(元禄7)年に。梅沢村の押出池は1648(慶安元)年に、舟場池は1651(慶安四)年に、後田池は1653(承応2)年に。高倉村の牛ヶ鼻池は1684(貞享元)年に、上海沼池は1686(貞享3)年に築造された。深田池(現深田調整池)は江戸時代には灌漑池として、山口・大谷・駒屋村の用水として使用している。
村々では、それぞれ耕地ごとに利用する堰・川・池や水量を定めている。耕地とは字(あざ)を幾つか纏(まと)めた広い区画で、農業のため田畑として使用している土地のことである。多田野村には、第3表のように10の耕地がある。堀口耕地は北堰・高橋堰・一寸かへり池を主として用いている。別所耕地は北堰とぬたの沢池・池の入池・かまの入池を使用している。山田耕地は岩色堰と上北沢池・下北沢池、雨水を用い。上台耕地は北堰・岩色堰と細山池・下台池・南鈴ヶ沢池・北鈴ヶ沢池、雨水を使用している。山岸耕地・杉内耕地・時雨内耕地は北堰・岩色堰と河内道池。戸之内耕地は中ノ堰と戸之内堰。白石耕地・中丸耕地でも堰や池を定めている。
このように、江戸時代には各河川に堰を設け、池を造り、村々の各耕地を灌漑する堰・池・川を定めているのである。
耕地名 | 本・新田 | 石高 | 用水 |
---|---|---|---|
堀口耕地 | 本田 | 96石6升 | 北堰・高橋堰・一寸かへり池 山間沢水・雨水 |
新田 | 45石7升8合4夕7才 | ||
別所耕地 | 本田 | 254石6斗2升2合 | 北堰・ぬたの沢池 池の入池・かまの入池 |
新田 | 8石5斗4升8合2夕8才 | ||
山田耕地 | 本田 | 43石1斗6升7合5夕 | 岩色堰・上北沢池 下北沢池・雨水 |
新田 | 42石5斗9升1夕 | ||
上台耕地 | 本田 | 240石7斗2升7合9夕 | 北堰・岩色堰・細山池・下台池 南鈴ヶ沢池・北鈴ヶ沢池・雨水 |
新田 | 15石4斗4升5合5夕3才 | ||
山岸耕地 | 本田 | 224石7斗2升6合1夕 | 北堰・岩色堰・細山池・下台池・南鈴ヶ沢池・北鈴ヶ沢池・河内道池・雨水 |
新田 | 17石6斗3合9夕 | ||
杉内耕地 | 本田 | 239石4斗4升8合9夕 | 北堰・岩色堰・細山池・下台池 南鈴ヶ沢池・北鈴ヶ沢池・河内道池 |
新田 | 36石6斗5升1合1夕 | ||
時雨内耕地 | 本田 | 355石3斗2升7合3夕 | 北堰・岩色堰・細山池・下台池 南鈴ヶ沢池・北鈴ヶ沢池・河内道池 |
新田 | 8斗9升5合2夕3才 | ||
戸之内耕地 | 本田 | 310石4斗2升2合1夕 | 中ノ堰・戸之内堰 |
新田 | 61石8斗1升8合7夕6才 | ||
白石耕地 | 本田 | 230石6斗1升1合2夕 | 本宮館川堰・かまの前池 下白石池・清水池・雨水 |
新田 | 52石4斗5升6合7夕 | ||
中丸耕地 | 本田 | 65石3斗4升4合 | 本宮館川堰・小六峠池・神明池 浄土池 |
新田 | 39石3斗5升7合5夕 |
(明和7年11月「只野村耕地切用水書上帳」郡山市歴史資料館所蔵山岡家文書)
(参考文献・資料)
福島県庁文書F2392
『郡山市史8』資料(上)
郡山市歴史資料館所蔵山岡家文書