1828(文政11)年から長谷川兵太夫によって始められたが、なかなか思うようにはいかず、苦心の末、1844(弘化元)年に白磁染付の福良焼が完成した。
これ以後、生産額も増え、福良村では12軒の家々が5基の窯(かま)を築いて営業した。製品は茶碗、皿、丼、徳利(とっくり)、壺(つぼ)、鉢(はち)、湯飲(ゆのみ)、急須(きゅうす)などの日用品を主としていた。明治には数十頭の馬を運搬に使うほど栄えていたが、磐越西線の開通により、品質のよい下り物の陶磁器が入り、衰退(すいたい)を余儀(よぎ)なくされた。