5 養蚕(ようさん)

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 養蚕は江戸時代の比較的早い時期から篤農家(とくのうか)(農業に熱心で研究的な農家)などによって行われていたが、多くの農家が関わるようになるのは中期以降である。絹の需要の増加により、養蚕は農家の大きな現金収入源となった。しかし、農民が養蚕に力を注いだり、桑畑を増やしたりすることは、年貢米の手入れがおろそかになったり、畑が減ったりすることになるので、二本松、守山の両藩では様々な禁止令や制限令を出している。しかし、藩の禁止にもかかわらず養蚕は減るどころか増加に転じたようである。藩はやがて、桑の木に課税するなどの措置を取っている。幕末から明治にかけて養蚕は日本の農業の大きな部分を占めるようになる。

(佐藤新一)

参考文献

『郡山の歴史』

『郡山市史』