1825(文政8)年二本松藩は、町昇格の記念として、弁財天の祠(ほこら)があったため弁天池(べんてんいけ)と称していた現在の麓山公園の一帯に公園と馬場を造営し、翌年完成させ共楽園(きょうらくえん)と名付けた。しかし「奥州郡山細沼弁財天絵図」(永戸家蔵)よると、この構想は藩主の別邸や舟遊びや浮き島や数多くの橋や茶屋を配するなど一大遊園地にしようとする計画があったが、藩士からの藩財政の消尽に対する反対もあり、規模が縮小され公園と馬場のみになったという。
(大河峯夫)
(参考文献)『宿駅昇格運動』(今泉家文書)
『郡山町郷土史』(明治45年)