3 守山米の地払い

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 収納米の最も簡単な売却の方法は、地元で入札に付しての払い下げることであった。藩では時に応じて地払いを行って来たが、1810(文化7)年からそれが半ば恒常的になる。守山米の定期的入札払米の制度は、毎年10月末に領内の上郷米(かみごうまい)と下郷米(しもごうまい)各300俵を公示入札したもので、1810(文化7)年10月の事例では入札人が12名で領外からは2名で残りは領民であった。しかし、次第に入札者は増大し、守山米をめぐる市場圏も三春、郡山、須賀川はもとより福島、川俣、岩城、白河等へ拡大している。また守山領内では1857(安政4)年には17名、1863(文久3)年には20名を超える入札参加者があり、また入札を取次ぐ者もあらわれる。いずれも領内の庄屋や村役人層で、これら入札参加者の多くは藩財政への貢献および郷士格として陣屋機構の一員として登用されてくる者達である。

(大河峯夫)

1810(文化7)年 守山藩の地払いの様子(守山藩御用留帳)


(参考文献)

『二本松市史』

『押し上げる廻米』(草野喜久著)

『守山藩御用留帳』(郡山市歴史資料館蔵)

『御用留帳』(今泉家文書)