丹羽長重(ながしげ)は、1622(元和8)年に棚倉へ転封となった際に、棚倉城を2年かけて築城した。1627年(寛永4)年に白川へ転封となった際には、幕府より2万両を借金して、7年の歳月を費やして白河城を築城した。この他にも、江戸と二本松間の参勤交代や、江戸屋敷の賄(まかない)に莫大の費用支出を余儀なくされ、藩の財政は窮乏(きゅうぼう)していった。それに加え、徳川幕府から諸河川の国役普請(くにやくぶしん)・手伝(てつだい)普請をはじめ、多くの加役を命じられ、藩の財政窮乏に一層の拍車をかけた。
二本松藩ではそれらの費用を国役金(くにやくきん)、借上金(かりあげきん)・貸上金(かしあげきん)等と称して領内村々へ賦課した。第1表は、大槻組に課した国役金・貸上金等である。1747(延享4)年には美濃国の諸河川の普請手伝、1763(宝暦13)年には増上寺の修復手伝、1775(安永4)年には甲斐国の河川の普請、1789(寛政元)年・1796(寛政8)年には美濃国・伊勢国の河川の普請手伝、1803(享和3)年に東海道筋と甲斐国の河川の普請手伝、1808(文化5)年に朝鮮通信使来聘の国役金、1816(文化13)年に上野御本坊普請手伝、1828(文政11)年に上野御霊屋(みたまや)と御廟向(ごびようむき)普請手伝、1848(嘉永元)年に大坂城普請手伝、1863(文久3)年・1865(慶応元)年に京都守衛、1867(慶応3)年に大宮御所造立御用等を命じられ国役金を納めている。国役普請とは、幕府の河川普請や御所・寺社等の造営に、国を単位に費用を賦課して行う土木工事のことである。手伝普請とは、幕府が行う江戸城や大坂城・二条城等の修復や河川の治水工事、日光東照宮や寛永寺・増上寺の修復などの土木工事に、手伝いとして費用を納入するものである。国役金は100石につき金3両の割合で納めた。1808(文化5)年には朝鮮通信使来聘の国役金は100石につき金1両、1865(慶応元)年の京都守衛は100石につき金一両二分、1867年の大宮御所造立は100石につき金3分の割合である。さらに、国役金と併用して貸上金を納めている。1808年の朝鮮通信使来聘と慶応3年の大宮御所造立御用は国役金のみであった。
その他に、1731(享保16)年・1773(安永2)年・1777(安永6)年に婚礼費用、1784(天明4)年に村々御救費用、1794(寛政6)年に江戸屋敷類焼普請、1811(文化8)年に勝姫・侚姫の婚礼費用、1850(嘉永3)年に江戸屋敷類焼普請等にも課している。これらは、藩が独自に領内村々へ賦課したものである。
年号 | 項目 | 国役金 | 貸上金 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1747年 | 美濃国川々普請手伝 | 547両銀1匁7分3厘5毛 | 868両2分 | 100石に付3両の取立 |
1763年 | 増上寺修復普請 | 547両1分銀7分6厘9毛 | 500両3分 | 100石に付3両の取立 |
1773年 | 婚礼御用 | 170両1分 | ||
1775年 | 甲州川々普請 | 547両1分銀6匁4分9厘6毛 | 211両1分2朱 | 100石に付3両の取立 |
1775年 | 喜姫様婚礼御用 | 152両2分 | ||
1777年 | 婚礼御用 | 75両 | ||
1784年 | 村々御救 | 164両1分2朱小2朱 | ||
1789年 | 濃州・勢州川々普請手伝 | 547両1分銀12匁1分2厘7毛 | 312両2分2朱 | 100石に付3両の取立 |
1794年 | 江戸屋敷類焼 | 418両1分2朱小2朱 | ||
1796年 | 濃州・勢州川々普請手伝 | 547両2分銀3匁3厘9毛 | 234両2分2朱 | 100石に付3両の取立 |
1803年 | 東海道筋并甲州川々普請手伝 | 547両2分銀9匁3分5厘 | 211両2分 | 100石に付3両の取立 |
1808年 | 朝鮮通信使来聘の国役金 | 183両1分銀14匁6分7厘 | 100石に付1両の取立 | |
1811年 | 勝姫様・侚姫様婚礼御用 | 146両 | ||
1816年 | 上野御本坊普請手伝 | 547両3分銀5匁9分8厘3毛 | 160両 | 100石に付3両の取立 |
1828年 | 上野御霊屋并御廟向普請手伝 | 547両3分銀5匁9分8厘3毛 | 321両3分 | 100石に付3両の取立 |
1829年 | 勝姫様婚礼御用 | 70両 | ||
1831年 | 献納籾 | 50石4斗(126 俵) | ||
1838年 | 献納米 | 465石7斗5升(1,035俵) | ||
1844年 | 茂姫様婚礼御用 | 436両 | ||
1847年 | 若殿様御乗出御用 | 203両2分 | ||
1848年 | 大坂城普請手伝 | 225両2分2朱 | 100石に付3両の取立 | |
1850年 | 江戸屋敷類焼 | 650両 | ||
1851年 | 貞姫様引越入用 | 137両1分 | ||
1853年 | 政姫様引越入用 | 201両 | ||
1862年 | 蔵人・照姫様縁組御用 | 520両 | ||
1863年 | 京都守衛御用 | 412両1分銀1匁7分8厘4毛 | 才覚金1,500両 | 100石に付3両の取立 |
1865年 | 京都守衛御用 | 206両銀8匁3分9厘3毛 | 1,766両、外に才覚金1,500両 | 100石に付1両2分の取立 |
1867年 | 大宮御所造立御用 | 103両2分2朱銀2匁3分 | 100石に付3分の取立 |
(郡山市歴史資料館所蔵山岡家文書、郡山市大槻安斉家文書)
貸上金・借上金は、二本松藩が領内村々の農民・商人より借金することである。1748(寛延元)年の美濃国の川除普請(かわよけふしん)から1829(文政12)年までに二本松藩に納めた者は、郡山上町では第2表のような人々である。但し、表には全てを掲載できないので一部にとどめた。郡山上町では、鴫原弥作(やさく)が356両、阿部茂兵衛(もへえ)は308両余、佐藤伝兵衛(でんべえ)137両余、名木又兵衛(またべえ)101両余、阿部茂右衛門80両余と、郡山上町で上納した者は135名で2,421両余にのぼっている。
二本松藩では貸上金の返済を、火災の修復費用として一部を返済している。郡山村では1780(安永9)年・1799(寛政11)年・1807(文化4)年・1832(天保3)年に大火があり、家屋の修復費として借上金の1分を返済している。鴫原弥作は1781(天明元)年に8両、1799年に25両、1807年に28両3分の返済を受けた。阿部茂兵衛は1781年に4両、1799年に15両、1807年に21両1分である。佐藤伝兵衛は3回で26両1分、名木又兵衛は14両余、阿部茂右衛門は3両3分で、郡山上町では1781年に32名が109両1分、1799年に56名が309両2分、1807年に56名が317両余の返済を受け、1832年にも返済されている。
年号 | 項目 | 名前 | ||||||||
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鴫原弥作 | 阿部茂兵衛 | 佐藤伝兵衛 | 名木又兵衛 | 阿部茂右衛門 | 鮎瀬作右衛門 | 村越古左衛門 | 樋口宗右衛門 | 川口半右衛門 | ||
1748年 | 美濃御普請 | 4両 | 10両 | 1両 | 25両 | |||||
1756年 | 婚礼御用 | 5両 | 1両 | 15両 | ||||||
1760年 | 御招請御用 | 3両 | 1分 | 3分 | 1両2分 | 14両 | ||||
1763年 | 増上寺御普請 | 33両 | 2両1分 | 3両 | 10両 | 40両 | ||||
1773年 | 婚礼御用 | 5両2分 | 1両 | 1分 | 5両3分 | 2両 | ||||
1774年 | 婚礼御用 | 4両 | 1両 | 4両 | 1両 | |||||
1775年 | 甲州御普請 | 9両 | 4両2分 | 2両3分 | 12両1分 | 4両 | ||||
1777年 | 婚礼御用 | 6両 | 2両1分 | 1両2分 | 6両 | 1両1分 | 2朱 | |||
1789年 | 甲州御普請 | 17両 | 17両 | 13両 | 1両2分 | 15両 | 3両 | 1両 | 1両 | |
1794年 | 江戸屋敷類焼 | 32両 | 30両 | 19両 | 7両2分 | 19両 | 1分 | 1両 | 3両 | |
1796年 | 勢州御普請 | 27両2分 | 25両 | 12両 | 5両2分 | 10両 | 1両 | 1両3分 | ||
1803年 | 甲州御普請 | 30両2分 | 33両 | 15両 | 18両 | 7両 | 7両 | 2両 | 3両 | |
1808年 | 婚礼御用 | 8両2分 | 8両 | 3両2分 | 3両2分 | 2両2分 | 3両2分 | |||
1816年 | 上野御本坊御普請 | 20両 | 22両 | 11両2分 | 11両 | 7両 | 4両2分 | 1両 | 4両2分 | 6両 |
1828年 | 上野御霊屋御廟向御普請 | 130両 | 130両 | 40両 | 40両 | 50両 | 40両 | 35両 | ||
1829年 | 婚礼御用 | 30両 | 30両 | 10両 | 10両 | 13両 | 10両 | 10両 | ||
小計 | 356両2分 | 308両1分 | 137両1分 | 101両2分 | 80両2分 | 100両2分 | 106両2分 | 62両2朱 | 63両1分 | |
1781年 | 安永9年郡山宿類焼 | 8両 | 4両 | 2両1分 | 5両2分 | 10両 | ||||
1799年 | 郡山宿類焼 | 25両 | 15両 | 10両 | 4両1分 | 15両 | 16両 | 2両 | 2両1分 | |
1807年 | 郡山宿類焼 | 28両3分 | 21両1分 | 14両 | 9両3分 | 3両3分 | 16両 | 17両2分 | 2両 | 3両3分 |
残額 | 294両3分 | 268両 | 111両 | 87両2分 | 76両3分 | 64両 | 63両 | 58両2朱 | 57両1分 |
(天保2年4月「郡山上町御貸上金惣調帳」郡山市歴史資料館所蔵今泉家文書)
(参考文献・資料)
『国史大辞典9』
郡山市歴史資料館所蔵今泉家文書・山岡家文書・安斉家文書