江戸時代の農民の間で普及したのが湯治や参詣の風潮であった。湯治は医療でもあるので藩でも大目に見ざるを得なかったし、また、社寺参詣は聖なる宗教的行為であるから、これをむげに押し止めれば民心を失う怖(おそ)れがあった。したがって一般の旅を抑えても、湯治や参詣は大目に見られる傾向が強かったのである。
江戸時代は庶民が居住地を離れるには許可が必要であった。守山領守山陣屋の日誌「守山藩御用留帳」(郡山市歴史資料館所蔵)には守山領民が湯治や参詣に出かける時に、陣屋へ許可を願い出た記録が書き留められている。「守山藩御用留帳」を通して守山領民の湯治や参詣の様子について見ることにする。