駈入(かけい)りとは、犯罪を犯した者が寺社に駈込み、罪の赦免(しゃめん)を願うことである。日本の中世社会で、寺社へ対する朝廷・武家の熱心な信仰や神聖な場所で殺生(せっしょう)を禁止する聖域(せいいき)思想を背景に、寺社への駈入りは広く展開し、これを中世では「走入(はしりい)り」と称した。
走入りの事例として、戦国時代田村地方の三春城主田村隆顕(たむらたかあき)が1557(弘治3)年に菩提寺福聚寺(ぼだいじふくじゅうじ)宛掟書(おきてがき)に「罪などを犯して寺(福聚寺)へ走入った者について、その命を扶(たす)けることはやむを得ないが、長期にわたって寺中にとどめ置いてはならない」と定めている。これは、田村氏の支配する田村地方で、走入りが行われていたことを示す貴重な史料でもある。しかし、寺社が引き渡しを拒む拒否権に対しては、江戸幕府の成立以降は寺社への統制が強められ、走入り人や牢人(ろうじん)・悪党を抱えることを禁止し、諸藩の国法でも走入りを禁止してくるのである。