戦況は7月26日三春藩・翌27日守山藩が降伏し、29日には二本松城が落城する。
三春藩が降伏した翌27日の郡山町の様子は「郡山市中(しちゅう)の混雑湧(こんざつわ)くが如(ごと)し。この日郡山・大槻・片平の安積三代官はじめ藩士は残らず立(た)ち退(の)いた」(「今泉久三郎日記」)とある。藩役人の逃亡は、治安組織の壊滅と無政府状態の出現を意味した。このため町役人の有志が相談し、29日今泉久三郎等4名を派遣して、笹川村で東征軍の大村(おおむら)・柳川(やながわ)両藩に面会し、市中取締のため東征軍の進駐を嘆願する。これに応じ大村藩兵100名程が郡山へ繰り込むが、土地不案内のためと夜に入り三春へ引き揚げてしまう。