大正から昭和にかけ水利施設の整備、農業技術の進歩等により、安積原野は一面の美田となり収穫量も飛躍的に増加した。だが、入植者の内第二次世界大戦後まで子孫が残る者は僅かで、全滅に近い所もある。ほとんどが小作人で農地改革によりやっと土地所有者になれた。
一方、安積疏水は農業用水としての利用にとどまらなかった。明治後半から大正期にかけ沼上、竹ノ内、丸守と3発電所を建設した。また、明治末に第5分水路から飲料水用として水を引いた。これら安い電気と上質の水は県外資本を続々と郡山に呼び寄せ、近代工業都市として発展する大きな原動力となった。
(伊藤光子)