60 新しい町村の出発

119 ~ 120

 近代的な国家体制を目指した明治政府は、1889(明治22)年に大日本帝国憲法を公布し、翌年に帝国議会の開設を行った。それに先き立ち、政府は、国家を支える地域社会の再編成に乗り出した。政党勢力の影響を恐れた明治政府は、地方制度に対する官僚支配の強化を進める一方、政党勢力の地方進出の防止を計るため、地方自治の制度を早急に導入していった。

 1888(明治21)年4月には「市制」・「町村制」、1890年5月には「府県制」・「郡制」を公布、明治憲法体制下における新しい地方制度を確立し、国家を支える地域社会を再編成した。こうした背景には、町村を合併させることにより、町村間の利害対立を調整し、それと同時に、政府の統制を強化しつつ、町村合併による財政規模の拡大を計ったのである。しかし、府県制・郡制の施行期日を指定しなかったことから、福島県では、郡制は1897(明治30)年、府県制は翌1898年と遅れて実施したのである。

 町村制の内容を簡単に記すと、町・村を公益法人の自治体として認め、条例・規則の制定権を与え、町村長・町村議員を公選と認めるなど、一応自治体としての性格を与えた。しかし、一方で執行機関・議決機関の活動に諸々の統制を加えた。

 町村会(町・村の議決機関)議員の選挙権(被選挙権も同じ)は満25歳以上の男子、1戸を構え、地租または直接国税2円以上を納める者とされ、さらに、これを1等・2等の2階級に分け、1等は多額納税者で、議員の半数を選ぶことができた。また、郡会議員は郡内の町村会から選挙された議員と大地主から選ばれた。府県会議員は府県内の郡・市から選出された議員で組織し、選挙権者は郡会議員と郡参事会員(郡長と府県知事が任命した者の名誉職で、郡参事会を構成する会員)の間接選挙によって選出され、被選挙権者は直接国税10円以上を納める者であった。町村会・郡会・府県会議員のいずれも、選挙権・被選挙権に制限が加えられ、地主や富商の特権階級だけが政治に参加できる仕組みとなっており、一般の人々の政治への参加は認められなかった。

 この町村制の実施にあたり町村の合併が行われた。福島県では凡そ1,800に近い村が、1889(明治22)年には430ヵ村となり、安積郡では53ヵ村が17ヵ村、田村郡では151ヵ村が29ヵ村となった。

 郡山地域では、町村が整理・再編成され、第1表のような町村が創設された。この町村制の実施に先立ち、福島県では各郡役所に訓令で町村合併の試案が示された。これは、町村合併が適当であるか不適当であるか、また将来の利害関係等を加味した試案であった。第2表は、福島県側が示した試案と安積郡村々の実際の合併である。

第1表 町村の合併・分村沿革
村名 町村合併・分村
明治8 明治9 明治11 明治12 明治17 明治22
舟津村 月形村
舘村
横沢村 横沢村 横沢村
浜路村 浜路村
中地村 中野村 箕輪村
安佐野村
三代村
浜坪村 福良村 福良村
福良村
馬入新田村
赤津村
青木葉村 玉川村 高川村
横川村
高玉村
石筵村
中山村
堀之内村 喜久田村 堀之内村 喜久田村
前田沢村 前田沢村
早稲原村 早稲原村
下伊豆島村 下伊豆島村 丸守村
上伊豆島村 丸守村 上伊豆島村
安子島村 安子島村
長橋村 長橋村
夏出村 夏出村 河内村
長橋村の一部 菱形村 南浦村
河内村 河内村
片平村 片平村
多田野村 山野辺村 多田野村
山口村 山口村 穂積村
大谷村 大谷村
駒屋村 穂積村 駒屋村
野田新田村 野田村
八幡村 八幡村
鍋山村 鍋山村 三和村
下守屋村 稲津村 下守屋村
富岡村 富岡村
川田村 豊田村 川田村 豊田村
成田村 成田村
荒井村 荒井村 永盛村
笹川村 永盛村 笹川村
笹原村 日出山村
日出山村
小原田村 小原田村 小原田村
横塚村 郡山村 横塚村
郡山村 郡山村 郡山町
郡山村の一部 桑野村
小原田村の一部
大槻村の一部
富田村の一部
富田村
大槻村
八丁目村 山野井村 八丁目村 山野井村
梅沢村 梅沢村
高倉村 高倉村
日和田村 日和田村
八山田村 富久山村 八山田村 富久山村
福原村 福原村
久保田村 久保田村

(『郡山市史4』近代(上)P324)

第2表 郡役所の合併案と合併後の村名・戸数・人口表
郡役所の合併試案 合併前の村名・戸数・人口 合併後の村名・戸数・人口
村名 戸数 人口 村名 戸数 人口 村名 戸数 人口
 
郡山村

1,392

7,366
 
郡山村

1,392

7,366
 
郡山町

1,392

7,366
山野井村 430 2,389 日和田村 235 1,194 山野井村 512 2,848
高倉村 144 935
梅沢村 51 260
福田村 396 2,460 八丁目村 82 459
福原村 156 1,012 富久山村 389 2,477
久保田村 158 989
富谷村 557 2,812 八山田村 75 476
富田村 268 1,392 富田村 268 1,392
早稲原村 61 286 喜久田村 415 1,899
前田沢村 153 658
津島村 600 2,903 堀之内村 201 955
下伊豆島村 58 265 丸守村 399 1,948
上伊豆島村 70 333
安子島村 184 941
夏出村 30 155
長橋村 57 254
菱形村 554 2,719 片平村 348 1,833 菱形村 554 2,719
河内村 206 886
山野辺村 427 2,187 多田野村 303 1,450 多田野村 303 1,450
山口村 88 543 穂積村 378 2,139
大谷村 36 194
駒田村 338 1,849 駒屋村 84 386
野田村 47 244
八幡村 123 772
川田村 84 447 豊田村 115 621
富山村 331 1,592 成田村 31 174
富岡村 136 651 三和村 301 1,418
下守屋村 96 449
鍋山村 69 318
永盛村 606 3,455 荒井村 155 805 永盛村 356 1,865
笹川村 125 649
日出山村 76 411
小原田村 191 1,228 小原田村 250 1,590
横塚村 59 362
大槻村 616 3,151 大槻村 399 2,032 大槻・桑野組合村 616 3,151
桑野村 217 1,119
福良村 527 3,130 馬入新田村 17 116 福良・赤津組合村 527 3,130
福良村 330 1,901
赤津村 180 1,113
月形村 311 1,643 舟津村 115 615 月形村 311 1,643
舘村 79 439
横沢村 73 368
浜路村 44 221
箕輪村 274 1,441 三代村 167 761 箕輪村 274 1,441
中野村 107 680
合計 7,360 39,097 合計 7,360 39,097 合計 7,360 39,097

(『郡山市史4』近代(上)P292・293)

 郡山村は、1876(明治9)年に横塚村と合併したが、1879年に再び分村していたので、町村制施行の際、横塚村が望んだ郡山村との合併は受け入れられず、郡山村は単独で郡山町制を実施した。初代町長には今泉久次郎(きゅうじろう)が就任し、町役場の庁舎は陣屋(じんや)に置かれた。横塚村は小原田村と合併した。初代村長に積口善之進(ぜんのしん)が就任し、村役場は現在の小原田郵便局の向いに置かれた。八丁目村は福原村・久保田村と合併し福田村とする試案であったが、日和田村・高倉村・梅沢村と合併し山野井村となり、初代村長に小野口仁蔵が就任した。八山田村は富田村・早稲原(わせはら9村・前田沢(まえたざわ)村と合併し富谷村とする試案であったが、福原村・久保田村と合併し富久山村となり、初代村長に薄井伝蔵(でんぞう)が就任した。富田村は一村の村制を実施し、村長に矢吹文之丞(ぶんのじょう)が就任した。堀之内村は下伊豆島村・上伊豆島村・安子島村・夏出村・長橋村と合併し津島村とする試案であったが、早稲原村・前田沢村と合併して喜久田村となり、町長に国分伴内(ばんない)が就任した。多田野村・山口村・大谷村は山野辺村とする試案であったが、多田野村が一村の村制を実施したため、山口村・大谷村は駒屋村・野田村・八幡村と合併し穂積(ほづみ)村と称し、村長に山岡政治が就任した。川田村は成田村と合併して豊田村。富岡村・下守屋村・鍋山村は三和村とした。荒井村・笹川村・日出山村・小原田村・横塚村が合併し永盛(ながもり)村とする試案であったが、荒井村・笹川村・日出山村が合併し永盛村とし、村長には伊東新野右衛門(しんのえもん)が就任した。さらに、合併協議が整わないまま、妥協した形で合併した村に、大槻・桑野組合村、福良・赤津組合村と月形村がある。

(柳田和久)

(参考文献)

『郡山市史4』近代(上)