1 農業の近代化

121 ~ 121

 明治政府は、農業の近代化を図るため、江戸時代からの農法を改め、苗代や品種の改良、肥料・西洋式農具を導入した。特に安積郡では、国営の安積開拓(士族開墾)のため、馬耕耕作を取り入れ、西洋作物等を奨励した。馬耕耕作に当たって、政府は伝習人(でんしゅうにん)として勧農局農夫遠藤宇七郎・山口定次郎を派遣し、農具の取り扱いを伝授させた。また、鹿児島県から老農(ろうのう)塚田喜太郎を招き、骨粉肥料を用いた実蒔法を取り入れ稲作の増収を図っている。

 福島県では、明治10年代頃から本格的な近代化政策を図っている。郡山村では、1880(明治13)年に金透小学校内に県立郡山農学校を設置し、農業指導者の養成を図り、1893(明治26)年には米作改良教師松尾嘉平(かへい)を招き、品種の改良、田植時期や施肥・刈取時期の改善を加え、1896年には郡山農事試験場を設けた。

 1888(明治21)年に、福島県では普通農事改良普及手続について要項を発表し、種子塩水選、麦黒穂の予防、堆肥の改良、害虫駆除予防にあたり、農事改良を図った。各郡には郡農会、市町村にも農会を設け実施させた。郡山町農会は1893年、田村郡農会は1895年に設立し、安積郡・田村郡の農事の改良発達にあたった。このような農法の改善により、幕末と比較すると飛躍的な増収となった。