2 商工業の発達

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 幕末の安積郡・田村郡の主要な産物に生糸(きいと)・繭(まゆ)があった。そのため、安積郡・田村郡の農家では、自家座繰製糸(ざぐりせいし)が発達していた。商人が農家に座繰器や原料繭(まゆ)を貸して加工させ、手間代を支払うものであった。これを貿易品として海外に輸出するためには、座繰糸を優良な製品に仕上げ、しかも大量の品が必要であった。郡山では、そのため座繰製糸工場を創設した。正製組(せいせいぐみ)と真製社(しんせいしゃ)である。


正製組の商標(『郡山市史4』近代(上)口絵)


真製社の商標(『郡山市史4』近代(上)口絵)

 正製組は、1880(明治13)年に永戸直之介・甲斐山忠左衞門・安藤忠助等が発起し、各自が拠出した6,000円を基に創立した。当初は柳沼恒五郎所有の養蚕所を仮工場としたが、翌年二月に金透学校北隣に工場を建築した。正製組の職工は60名、賃工女537名であった。賃工女とは家庭の夫人に内職的糸取作業を委托した工員である。

 真製社は、1881(明治14)年に第1表のように、鴫原弥作・橋本清左衞門等によって設立した。設立時の初代社長は鴫原弥作であったが、1883年に橋本清左衞門が社長に就任した。1883年の職工は35名、外賃工女280名である。

第1表 真製社への出資者名
名前 出資額 備考
橋本清左衞門 3,500円 無限責任者
七島源兵衛 1,500円 無限責任者
佐々木鉄太郎 1,250円 無限責任者
鴫原弥作 1,250円 無限責任者
川口半右衛門 1,200円 無限責任者
松本文之助 1,200円 無限責任者
柳沼常八 1,100円 無限責任者
小針子之吉 1,100円
川口忠蔵後見人
 植杉新太郎
1,000円
稲沢喜惣治 750円
斎藤久之丞 600円 無限責任者
影山今朝松 550円
宗形弥兵衛 500円 無限責任者
今泉久次郎 500円
桜井政吉 500円
遠藤亀之助後見人
 遠藤辰吉
250円
橋本和助 250円
渡辺季之助 250円
武田重蔵 200円
橋本太平 200円
山田平太郎 200円
橋本藤助 200円
植杉新太郎 200円
橋本治助 150円
遠藤丑蔵 150円
安藤清兵衛 100円
半沢精四郎 100円
大橋半七郎 100円
岡野久四郎 100円
鈴木周平 100円
永井英太郎 100円
宗形卯吉 100円
高橋晴治 100円
湯浅為之進 100円
橋本藤左衞門 100円
渡辺万吉 100円
斎藤宗七 50円
佐藤勝枝 50円
宗形勝蔵 50円
今泉定七郎 50円
佐藤政右衛門 50円
国分鉄太郎 50円
村田久次郎 50円
合計 20,000円

(郡山市歴史資料館所蔵今泉家文書)

 1898(明治31)年、正製組の永戸直之介と、真製社の橋本清左衞門等が発起人となり、沼上発電所の電力を用いた郡山絹糸(けんし)紡績会社を設立した。同社は電気を用いて絹糸紡績を営み、残った電力を工場や家庭に販売するもので、紡績部と電気部から成っていた。日露戦争後の恐慌により紡績部は停滞し、1915(大正4)年に長野県から進出していた片倉組岩代製糸所に紡績部を売り渡し、1920年に片倉製糸紡績株式会社岩代紡績所、1923年には片倉組から独立して日東紡績株式会社郡山工場となった。電気部はそのまま営業を続け、1916年に郡山電気株式会社と改名した。

 真製社・正製組も機械を導入するなど改善したが、巨大資本と最新設備にはかなわず、1913(大正2)年に真製社は操業を休止し、1923年に正製組が営業を中止した。橋本万右衛門は、1917年に大日本紡績株式会社、1919年に大日本紡績株式会社を吸収して郡山紡績株式会社を設立したが、1922年に名古屋紡績に合併され、翌年に名古屋紡績は日東紡績に合併され、日東紡績第二工場となった。

 郡山町は、沼上発電所の電力を利用して製糸・紡績の町として発展したが、1907(明治40)年に郡山煙草専売局郡山製造所、翌年に郡山カーバイトが開設し、他にも化学工場や軽工業も創設され工場の町でもあったのである。

(柳田和久)

〈参考文献〉

福島県庁文書(K83)

『郡山市史』4近代(上)・5近代(下)