郡山を南北に縦貫する奥州街道は、江戸時代以来の主要道路である。1873(明治6)年に陸羽街道、85年に国道6号線、1920(大正9)年に国道4号線と名称を変えながら、国の幹線道路としての役割を担い続けた。現在の国道4号線は、戦後のバイパス化によって旧来と路線が変わっており、郡山市域では、現在の県道355号線が旧奥州街道に相当する。
東西方向の道路整備は、1879年に、太平洋側の小名浜港と日本海側の新潟港を結ぶルートが、小名浜から郡山にかけての人々によって提案された。この時の構想では、郡山・若松間は三森峠を越えるものとして提起されている。三森峠ルートが実現すれば、郡山で陸羽街道と十字に交差することになるとともに、当時本格化していた桑野村開墾地を東西に貫くことからも、この道路整備の実現が期待された。
しかし、県庁は三森峠のルートではなく、沼上峠を越えるルートでの整備を選択した。そのため、三森峠の整備は後年に送られることとなり、郡山からは、中心部の大町で陸羽街道から分岐し、安子島で越後街道に接続する安積街道が整備された。