明治初期から中期にかけて女性の就学や勉学熱は低迷していた。明治の30年代から一部の人々の間で女子教育の必要性が取り上げられ始めたが、郡山での実現は延び延びとなっていた。福島市より10年遅れの1912(明治45)年、虎丸町に安積郡立安積実科女学校が開校し、1915(大正4)年には安積高等女学校と改名した。改名当時の生徒数は1年生31名・2年生34名・3年生48名・4年生45名の合計158名であったが、1918(大正7)年には合計200名と増加した。1920(大正9)年には県立安積高等女学校となり、現在の地に移転した。