67 帝国議会と郡山政界の動き

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 1889(明治22)年3月、帝国憲法が発布され、国会開設が目前に迫ると、自由民権不毛の地と言われた安積郡にも、反政府の動きが起こって来る。憲法発布の特赦(とくしゃ)で、獄中(ごくちゅう)にあった河野広中・平島松尾らの旧民権指導者が出獄すると、郡山地方においても、有志による歓迎会が開催され、総選挙に向けた民党派の活動が具体化した。

 民党派は旧自由民権運動の諸派が大同団結して大同倶楽部(くらぶ)を結成し、87(明治20)年に三大建白運動(言論の自由、地租軽減、外交の回復)を展開した人々であり、安積郡では桜井亀太郎(郡山町)・堀田喜左衛門(河内村)らを中心に、210余人が建白書を提出している。

 1890(明治23)年7月、第1回の衆議院議員総選挙が行われた。県内は5選挙区に分かれ、安積郡・安達郡は第2区(定員1名)、田村郡は県中県南の4郡と共に第3区(定員2名)に属した。

 第2区では政府系中立の安部井磐根(あべいいわね)と民党の平島松尾(ひらしままつお)が争い、安部井が771票で当選し、平島は善戦したが、わずか9票差で惜敗した。安積郡で平島派として積極的に動いた人には、前記の桜井・堀田のほか、国分虎吉・斎藤久之丞・影山新吉らがいた。


安部井磐根(『安達憲政史』より)


平島松尾(『安達憲政史』より)


1890(明治23)年7月1日 第1回総選挙を実施
(小川千甕挿画『漫画明治大正史』より)

 第3区は、もともと民権運動が盛んだった地域で、旧自由党の河野広中・鈴木万次郎・吉田正雄が立ち、河野が1,536票、鈴木が640票で当選した。なお当時の有権者は、直接国税15円以上を納める者に限られ、福島県でみると、全県民の1.45%にすぎなかったのである。

 90年11月開会の第1回帝国議会では、自由党・改進党の民党が多数を占め、「政費節減」「民力休養」を旗印とし、政府予算に対し、軍備拡張費を含む800万円の削減を加え、山県内閣を大いに苦しめた。翌年の第2回帝国議会でも、自由党・進歩党が結束し、松方内閣の提出する軍事予算をことごとく否決したため、政府は議会を解散、92(明治25)年2月、第2回衆議院議員総選挙が実施された。品川弥二郎内相の民党派大弾圧(選挙大干渉)にもかかわらず、選挙は民党の勝利であった。福島県第2区(安積・安達)は、吏党の安部井が民党の平島を抑えて大差で当選したが、第3区では、自由党の河野広中と鈴木万次郎が2議席を独占した。


河野広中(郡山市市史編さん室所蔵)

 同年5月、県会議員の半数改選が行われた。68議席中40余議席を自由党が占めたが、安積郡では、中立の今泉久次郎(郡山町)、小野口仁蔵(山野井村=のち日和田)・保守系の石田儀平(月形村)の3人が当選した。このうち今泉と石田は、政府系の国民協会の下部組織である安積協会の中心メンバーであった。郡山町及び周辺の村々の多くは、安積協会の影響が強かったが、92年頃から自由党支持者が増え、翌年1月には全県下の自由主義者大懇親会が郡山町で開催され、同年10月には郡山民会も発足した。


石田儀平(『郡山市史4』P475)

 田村郡に属した村々のうち、逢隈(おうくま)村(現西田町)や高瀬村(現田村町)では92年後半には村の民会を結成し、他の守山村・二瀬村(現田村町)・御舘村(現中田町)では、国民協会派が村政の実権を握っていたが、次第に民党が勢力を拡大し、各地に民会が組織されていった。

 1894(明治27)年2月、第3回衆議院議員総選挙が行われ、第2区では、病気入院中の平島松尾が立候補し、保守系中立の安部井磐根を抑えて初当選した。また同時に行われた県会議員半数改選において、安積郡では自由党の堀田喜左衛門と佐藤新介が当選し、2議席を独占した。日清戦争直後の第4回総選挙でも、第2区は平島が安部井を僅差(きんさ)で破り当選している。

 ただし日清戦争開始後は、自由党は藩閥政府攻撃の矛を(ほこ)おさめてしまう。96(明治29)年4月、自由党総理板垣退助は第二次伊藤博文内閣の内相として入閣し、進歩党(同年3月結成)の党首大隈重信も、同年9月外相として入閣する。98年1月に第三次伊藤内閣が組閣した後は、板垣・大隈は一応政権との関係を絶つが、6月に自由・進歩両党が合同して憲政党を結成し、まもなく総辞職した伊藤内閣に代って、憲政党内閣(首相大隈、内相板垣)が、最初の政党内閣として誕生した。しかし旧自由党派と進歩党派の対立が激化し、この内閣は4ヵ月で崩壊する。憲政党は旧自由派の憲政党と旧進歩派の憲政本党に分裂する。この間河野広中の自由党脱党もあり、政党の離合がくり返され、1900(明治33)年9月には憲政党が解散し、伊藤博文を総裁とする立憲政友会が結成される。

(糠澤章雄)

明治30年代の中町通り(『郡山市史9』口絵)


(引用・参考文献〕

『郡山市史4』467~490ページ

平島松尾『安達憲政史』(明治期の項)

『本宮町史3』350~6ページ