1887(明治20)年、東北本線が郡山に達し、99年には岩越(がんえつ)線が郡山・若松間で営業を開始した。1914(大正3)年には平郡(へいぐん)線が郡山・三春間で営業を開始し、17年には平までの全線が開通した。
安積疏水を利用した沼上発電所に始まる郡山電気株式会社は、1923年において1万7,815kWの電力供給量を有していた。1925年には茨城電気と合併して東部電力となる。
1909年からは、水量・水質ともに問題のあった旧来の水道に替わり、鉄管を用いた水道の整備が進められ、1912年に完成した。
このようなインフラ整備の進展は、郡山の商工業を発展させるとともに、工場立地に適した場所として、県外企業の進出を後押しすることとなった。