1924(大正13)年の郡山に設置されていた主要な工場は以下のとおりである。
郡山地方専売局
小口組郡山製糸所
橋本製糸所
郡山電気カーバイト工場
東郷綿工場
山口酒造工場
東洋曹達(ソーダ)郡山工場
郡山山丸乾燥場
郡山印刷株式会社
郡山製作所
仙台鉄道局郡山工場
日本化学郡山工場
片倉製糸紡績岩代製糸所
名古屋紡績郡山絹糸工場
日東製糸紡績郡山工場
小口組と片倉製糸は信州系の製糸・紡績会社である。1880年代より発達してきた郡山の製糸場・紡績工場を買収するなどして同社の工場とし、第一次世界大戦時におけるヨーロッパへの輸出で大きな利益を挙げた。本社を東京に置く東洋曹達工場は、1917年に郡山に進出した。曹達とは、水酸化ナトリウム・炭酸ナトリウムなどのナトリウム化合物のことで、工業生産の過程でさまざまな用途に用いられる。曹達薬品の工場としては東北地方で最初のものであった。1918年には大倉財閥の祖、喜八郎を社長に日本化学工業株式会社の郡山工場が建設され、マッチなどの原料となる燐(りん)の精製を行った。工場立地の進展は、商業の活性化ももたらし、1925年には郡山商業会議所が設立された。郡山の商工業者によって組織され、経済界が直面する諸課題に対応していくこととなる。なお、1928(昭和3)年の法律改正にともなって郡山商工会議所に改称した。