宮本百合子は東京生まれだが、祖父中條政恒は安積開拓に心血を注ぎ開拓の父と呼ばれ、晩年開成山で没した。祖母の運が開成山に住んでおり、百合子は幼少時代より毎年開成山に滞在している。この開成山での体験が、小説『貧しき人々の群』(1918(大正7)年)として「中央公論」に発表された。百合子17歳の時である。また開成山を背景に『お久美さんと其(そ)の周囲』『禰宜様宮田(ねぎさまみやた)』『三郎爺(さぶろうじい)』等を描いた。百合子は祖父の安積開拓による近代化が、社会を発展させる一方で貧しい人々を多く生み出している矛盾に気付き、ヒューマニズムの立場から解決法を追い求めた。アメリカでの恋愛結婚が人間としての自由ではなく束縛となったのを描く『伸子(のぶこ)』を経て、社会的人間の解放を求めてプロレタリア文学へ参加した。戦時下の弾圧にも屈せず過ごし、戦後は『播州平野(ばんしゅうへいや)』に郡山を描いた。