石井研堂は、民衆の立場から明治以来の日本近代化を探求記録した博物学者で、郡山の大町、旅館常盤屋(ときわや)の三男に生まれた。金透小学校で校長御代田豊の指導を受けて理科・地理・歴史に興味を持ち、17歳で教員となり母校金透小で教壇に立った。1885(明治18)年上京して岡鹿門(おかろくもん)の漢学塾に学んだ。同門に尾崎紅葉(おざきこうよう)、北村透谷(きたむらとうこく)等がおり、いずれも日本近代文学の基礎を確立した人たちである。研堂は知的啓蒙雑誌「小国民」「世界之少年」「実業少年」を編集発刊して明治の少年に強い影響を与えた。幸田露伴(こうだろはん)、巌谷小波(いわやさざなみ)と親しく、民本思想家吉野作造らと明治文化研究会を結成した。また少年の冒険心をかきたてる漂流記文学『中浜万次郎』『鯨幾太郎』や『天保改革鬼譚(てんぽうかいかくきたん)』など著作が多い。研堂の代表作『明治事物起原(めいじじぶつきげん)』が、ちくま学芸文庫から1997(平成9)年全8冊で出版されている