4 高山樗牛(たかやま ちょぎゅう)(林次郎(りんじろう))

144 ~ 144

1871年~1902年

 高山樗牛は、山形県鶴岡に生まれ、父斎藤親信の兄高山久平の養子となった。久平が福島県庁に勤務したことにより福島に住み、福島中学校(現・安積高校)に学んだ。養父久平の東京転勤で中途退学したが、現在、安積高校では樗牛を顕彰して樗牛賞を設けている。仙台の第二高校(現・東北大学)の時、ゲーテ作『淮亭郎(ウェルテル)の悲哀』を訳した頃からペンネームを樗牛としたが、これは古代中国の荘子の書からとったものである。その後東京帝国大学に進学すると読売新聞懸賞小説に「滝口入道(たきぐちにゅうどう)」が匿名で入選し話題となる。東大卒業後、出版社博文館の雑誌「太陽」を編集して評論活動をする。樗牛の文章は浪漫的美文調で明治期青年に広く読まれた。彼の文学は、日本主義、ニーチェ主義、日蓮主義と思想の遍歴をしている。日本近代化の悲劇を象徴した文学であった。また、彼は『日本美術史』で文学博士号を得る。31歳の若さで病没した。