ロボットとは人造人間の意だが、これを広く日本に紹介したのが鈴木善太郎で、郡山の大町、鈴木合名会社の長男に生まれた。金透小学校、安積中学校を中退して上京、早稲田大学を卒業し朝日新聞記者として活躍した。やがて菊池寛らと並ぶ新進作家として『幻想』が認められ、長編小説『山荘の人々』が懸賞入選して、新聞「万朝報(よろずほうちょう)」に連載される。1922(大正11)年にヨーロッパへ旅行して持ち帰ったのがチェコの劇作家チャペックの戯曲『ロボット』で、ハンガリーの劇作家モルナール作品『リリオム』等多くの作品を翻訳紹介した。オニール『猿(さる)』等を訳したことでも知られ、日本近代演劇界に残した足跡は大きい。また、藤森成吉作『磔茂左衛門(はりつけもざえもん)』を演出して大変な好評を得た。太平洋戦争の最中郡山に疎開し、戦後は郡山文化協会等で市の文化発展に貢献した。