7 中山義秀(なかやま ぎしゅう)(議秀(よしひで))

145 ~ 145

1900年~1969年

 中山義秀は、岩瀬郡大屋村(現・白河市大信)に生まれた。金透小学校、安積中学校に学んだが、中学で不当な処分を受け、官学を嫌って早稲田大学に進学する。横光利一に兄事して作家を目指したが、作風が地味なため長く苦節の時代を過ごすこととなる。38歳で『厚物咲(あつものざき)』が芥川賞を受賞して文壇に出た。その審査員の1人が久米正雄である。この作品は、2人の老人をめぐる人生の葛藤を菊の花を配して描き高い評価を受けた。その後、『碑(いしぶみ)』で幕末から明治の時代に翻弄される斑石(まだらいし)兄弟を描いて作家の地位を不動にした。郡山の麓山公園の歴史を描いた『残照(ざんしょう)』は、二本松藩の剣術家根来(ねごろ)父子が藩主の贅沢を諌めて牢死する物語であり、信念に生きる姿を描き印象深い作品となっている。歴史小説に定評があるが、太平洋戦争を描いた『テニヤンの末日』や戦後の日本を裏磐梯を背景に描いた『七色の花』等著作が多い。