「北方詩人」は、祓川光義(はらいかわみつよし)が大谷忠一郎(おおたにちゅういちろう)とともに1927(昭和2)年創刊した福島県を代表する詩誌である。佐久間利秋(さくまとしあき)・高橋新二(たかはししんじ)・寺田弘(てらだひろし)・大滝清雄(おおたききよお)らが参加し、県外からも高村光太郎や宮沢賢治など著名な詩人たちが寄稿している。特に、1933(昭和8)年同誌に発表された宮沢賢治の詩「産業組合青年会」は、賢治の遺作として知られている。
創刊者の祓川光義は安積町に生まれ、農業のかたわら文学に親しみ、詩集『暮春賦(ぼしゅんふ)』を残した。「北方詩人」を通じて、草野心平や心平の創刊した詩誌「銅鑼(どら)」の参加者とも交流が生まれた。しかし、25歳の若さで病没する。
もう1人の創刊者大谷忠一郎は、白河市に生まれ、安積中学校を卒業する。萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の影響を受け、『北方の曲』『空色のポスト』などの詩集を残す。
この時代の詩人として忘れることのできない人物に田中冬二(たなかふゆじ)がいる。冬二は福島市に生まれ、1943(昭和18)年に安田銀行(現・みずほ銀行)郡山支店長として赴任すると、郡山の文学及び文化活動に大きく貢献した。郡山在勤前後の作品として詩集『菽麦集(しゅくばくしゅう)』、句集『行人(こうじん)』がある。
その他、1940(昭和15)年に岡登志夫(おかとしお)が中心となって詩誌「蒼空(あおぞら)」が発刊された。同人は三谷晃一(みたにこういち)・菊池貞三(きくちていぞう)・太田博(おおたひろし)らであった。しかし、戦時下であったため、ほどなく休刊に至った。