74 東部電力争議と電気料金値下げの市民運動

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 1926(大正15)年1月、郡山電気(株)が茨城水力電気(株)と合併し、東部電力(株)(資本金2,860万円)となり、発電量2万7,000kW、電力供給は郡山市・いわき平町を中心に、1市7町6ヵ村におよび、同時に都市ガス事業も営む大会社として発足した。

 合併により賃金値下げ等労働条件の悪化があり、労働組合(東部電力労組)は、待遇改善を求めて会社と交渉に入り、会社経営陣内の派閥争いにもからみ、1927(昭和2)年8月大きな労働争議が勃発(ぼっぱつ)した。組合側の要求は、①発変電工の初任給日給80銭を1円30銭にアップ、②③④休日の増加(忌引・公休・簡閲点呼(かんえつてんこ)及び徴兵検査)、⑤公休日の手当制定、⑥解雇及び休職の手当制定、⑦衛生設備の完備、⑧変電所勤務10時間、発電所勤務8時間に改訂、⑨賞与金の増率及び昇給期間の確定、⑩在勤手当の確立、の10ヵ条であったが、これは全面拒否されたので、組合(組合長田中利勝、執行委員田中正勝・今泉品蔵・渡辺二郎ら)は、柳町の会田病院所有の2階家屋を借りて争議団本部とし、日本労働総同盟本部からも関谷亀之介(せきやかめのすけ)らが来援し、同盟罷業(ひぎょう)の態勢をととのえる。

 会社側は、電化事業法・刑法を楯にとり、団体交渉には応じず、暴力団を雇って抑圧にかかり、組合側は総同盟本部のほか、鉱夫組合常磐地連や青年同盟前衛隊などの支援を得て、争議は長期化した。9月に入って、まず西部の各発電所がストに入り、ついで東部の各事業所が加わり、9月5日朝には全発変電所が総罷業に入った。6日からは組合側と暴力団が各地衝突する事態となり、争議は次第に激化した。会社側は、先に11人を解雇したが、さらに105人を休職処分(内11人を解雇)とした。この頃には、郡山の各工場の動力、常磐炭坑の動力に著しい支障を来し、その他各方面の電灯にも甚大な迷惑を及ぼしていた(『福島民報』9月10日付)。しかも世論は争議団側に同情的で、『福島民報』『福島民友』など地方新聞も、組合の10ヵ条要求を支持する記事を掲載している。


東部電力(株)本社ビル(郡山市市史編さん室所蔵)


東部電力労働争議の記事
上(『福島民報』9月1日付)
下(『福島民報』9月4日付

 9月12日、郡山市長大森吉弥と『福島新聞』主幹松岡末吉が調停に入った。組合側は、一部に結束の乱れもあったので調停に応じ、9月13日、郡山市役所において、会社側から副社長前島平(まえじまたいら)、郡山支店長藤田平重郎(ふじたへいじゅうろう)、組合側から関谷亀之介・小林貞雄・今泉品蔵・田中正勝が出席して会合が持たれた。調停条件は、①会社側は組合側要求10ヵ条を受け入れ、即時社則を改正する、②会社は争議費用として1,500円を争議団に贈る、③休職者105人の内95人は復職させ、第1次解雇者11名及び第2次解雇者11人の計22人は復職させない、④解職者へは、解職手当1人150円、計3,300円を支払う、の4項目であった。組合側は、これを総会にはかり、「涙を呑んで」受諾し、9月15日、争議は終結した。


初代市長 大森吉弥
(郡山市市史編さん室所蔵)

 東部電力争議で組合側に同情的であった郡山市民は、9月11日みどり座で市民大会を開き、東部電力に対し、電灯料5割値下げ、休灯料・電灯交換料など多種の手数料の撤廃その他、16項目の要求をまとめ、さらに郡山地方電灯料値下げ同盟の結成を決めた。東部電力の電灯料金・ガス料金は、東京など他の電力会社に比し、第1表のように圧倒的に高額であった。値下げ同盟は、柳町有志、郡山記者団有志が中心となり、その他市内各地へ拡大した。9月13日、柳町博品館で需要者大会及び大演説会を開き、実行委員長日沖宗十郎ほか5人の委員を選出し、16項の要求事項を確認し、全国借家人同盟主事の鈴木臂岡(ひじおか)らの演説で気勢をあげた。同盟員は市内各地から、桑野・日和田・喜久田・安子島・守山など周辺町村にも拡大、値下げ要求への署名者は数千から万をこえた。10月20日、会社側との交渉が始まり、会社は電灯交換料引き下げなど6項目は認めたが、残り10項目は認めず、10月26日の第3回の交渉時には、東京在住の橋本万右衛門社長の全面拒否の電報を示したのみだったので、会社をとりまいていた群衆(千人とも数千人ともいう)は激昂(げきこう)し、会社ビル内に突入、待機していた警官隊ともみ合いとなり、百数十人が検束された。検束(けんそく)者の内、日沖宗十郎(北町)・国分栄次郎(咲田町)・中尾清(柳町)・柏木慎吾(大町)・貝山実吉(柳町)・鈴木臂岡(借家人同盟)ら18人の同盟幹部が騒擾(そうじょう)罪で起訴され、値下げ運動は鎮圧された。裁判は1929(昭和4)年まで続いた。

(糠澤章雄)

郡山電灯料値下同盟「騒擾事件記録」


昭和2年郡山地方で電灯料値下げ同盟を結成し、ランプ生活を続けた同志たち(郡山市市史編さん室所蔵)

第1表  昭和2年9月電力・ガス料金比較
会社 電灯料金 ガス料金
10燭 50燭 10立方フィート
 
東京電灯
東京市電

50
55

95
1.00
東京ガス  銭
22
 
東部電力郡山
〃  水戸
 
70
60
 
1.60
1.55

40

(『民友新聞』昭和2年9月11日夕刊による)


 (引用・参考文献〕

『郡山市史5』358~365ページ

糠沢章雄『民主主義のいしずえ―県民衆運動史』127~130ページ、246~284ページ

橘輝政『郡山財界秘史』

田中正勝「回顧録」

糠沢章雄「郡山地方電灯料値下げ同盟鈴木臂岡外九名・騒擾事件記録」(『福大史学』44・45・48・49合併号所収)