1 恐慌の時代

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 第一次世界大戦終結後、欧米諸国が経済活動を復活させていくにともない、日本の輸出は縮小し、戦後恐慌におちいった。さらに1923(大正12)年には関東大震災が発生し、日本経済は大きな打撃を受けることとなった。

 1924年に市制を施行した郡山は、市庁舎を麓山に建築することを決定した。その後、なかなか実行に移されなかったが、市庁舎が狭くて不便であるとともに、仙台逓信局から市庁舎の敷地を譲って欲しいとの要請もあって、1927(昭和2)年3月の市会(現在の市議会)で、市庁舎の建築を実行に移すことが議決された。

 しかしこの年、銀行経営が悪化していることが明らかになったことをきっかけに、金融恐慌が発生した。さらに世界恐慌の影響を受けて、1930年には昭和恐慌におちいってしまう。農産物価格も下落し、米と繭(まゆ)は、1927年から1930年の間に半値近くまで落ち込んだ。それに追い打ちをかけるように、1934年は気候不順による凶作となり、土地を手放して小作農となったり、多額の負債を抱えたりするなど、農家経営も厳しい状況となった。


建設中の市庁舎(『写真集明治大正昭和郡山』より)