こうした悲惨な状況の中で1945(昭和20)年8月15日を迎えた。この日は真夏の太陽が照りつける暑い日であった。朝7時のラジオニュースは、「本日の正午に重大放送があるので国民全員が聞くように」と繰り返し放送した。中央で何が起こっているのか知らない国民は、戦争遂行のための本土決戦を促(うなが)す放送でもあるのであろうと受け取っていた。
正午に開始された放送は、国民が初めて聞く天皇陛下の「玉音(ぎょくおん)放送」であった。しかし、ラジオの音声が悪くて良く聞き取れないことや、難しい熟語や漢字が混じっていたことから、一般国民には内容が理解しにくく、特に「ポツダム宣言を受諾し、敗北を認めて連合国に無条件降伏した」という意味が良く分からない人は少なくなかった。それでも「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」という言葉を聞いた時には、戦争に敗北したということを感じたという。
こうして敗戦を迎えた日の夕方には、上層部から「今日からは燈火管制をしなくともよい」という指示があった。日本の人々は覆いを取った電燈の下で明るい夜を過ごし、初めて戦争終結の実感を味わったのである。
(渡邉康芳)