1946年11月、郡山文化協会が発足、12月、郡山文化団体連盟が設立され郡山文化祭が開催された。49年、公民館主催による第1回市民文化祭が開催された。52年、郡山青年文化協会が誕生、16ミリ映画「伸びゆく郡山」の制作は注目をあびた。54年、郡山文化協会の提唱(ていしょう)によって文化会議が開かれ、市内の文化団体の連絡協調を図るため文化団体連絡協議会が発足した。市民文化祭の運営を中心に郡山の文化向上を目指した。
55年の市民会館の開館によって音楽団体の活動は活発になった。郡山勤労者音楽協議会、郡山国際フィルハーモニー協会、市民オーケストラなどが活躍し、58年11月に第11回全国合唱コンクールが開かれた。さらに世界的な音楽の公演が続き「音楽都市郡山」「東北のウィーン」とマスコミで話題になった。64年、市民の相次ぐ音楽活動の中で10万人コーラス運動が起こった。これは毎月第3金曜日をコーラス日と定め、街頭で市民とともに歌い広めるものであった。65年には20万人の合唱と改称して市内パレードを行った。また市民の文化活動の場として善導寺文化会館、やまのいカルチャーセンターの果たした役割も多大であった。
スポーツ体育では46年7月、郡山スポーツ連盟が発足、52年、国民体育祭誘致の影響で21のスポーツ団体が誕生した。同年、3万人を収容する県営陸上競技場が開成山に建設された。そして第7回国民体育祭が開催され、郡山市内ではホッケー、弓道などが実施された。59年、柔剣道場ができ、62年、開成山陸上競技場が郡山市に移管された。
(野澤謙治)