2 地方の財政

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 1950(昭和25)年に地方税財政改革があり、市町村税・地方交付税の割合が市町村の収入70%台を占めたので、財政は安定するかにみえた。しかし、財政需要の増加による支出がこれを上回り、地方財政は危機に陥(おちい)った。郡山市では、1952年度に1,075万円の赤字が生じたが、これは、市民税の未収と都市復興事業費がかさんだためであった。

 このような地方財政の赤字を解消し、健全な財政運営を保障する対策として、国は1955年に地方財政再建促進特別措置法を制定した。これは、前年度(1954年度)の赤字額を、借金によって一時棚上げするものであった。熱海町と田村町は、この法の適用を受け乗り切った。

 地方財政を窮乏化させた原因の一つに、税の収納率の問題がある。戦後の混乱期においては、日々の食糧もままならない状態であり、やむをえない事情も考えられるが、1950年の朝鮮戦争によるいわゆる特需と地方税財政改革の後も、収納率は好転しなかった。郡山市では、滞納(たいのう)処分を強化したり、納税組合を育成して納税意識の高揚(こうよう)につとめたりした。