2 新産業都市下の商業

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 1966(昭和41)年から1969年にかけての郡山市の商店数・従業員数・年間商品販売額は第2表のとおりである。商店数の増加に伴い、従業者数・販売額も増加している。なかでも卸売業の伸びは大きく、商店数が16.3%、従業員数も15.4%の伸びを記録した。卸売業と小売業について、その商店を規模別に見ると、50人以上の商店の伸びが特に大きく、郡山市の商業が次第に店舗を大型化していく傾向がみられた。

 新産都市指定以来、工場誘致や支店・営業所の開設などによって、市内の小売業は商品の流通が進み、市内と周辺市町村からの買い物客により急速に発展した。1970年から10年間の間に、商店数で28.1%、従業員数で29%、販売額に至っては3.8倍と増加した。郡山市民は、高度成長の結果多様な消費生活を行なうようになり、生活必需品の購入だけに追われているのではなく、品揃えの豊富なデパートやスーパーや専門店で消費生活を楽しみながら買物をするようになった。

 発展してきた商業だが、商店数を規模別にみると、80%以上が1~4人の従業員を雇う小さな商店で、10人未満の従業員を雇う商店になると95%にもおよぶ。また、郡山新市内や周辺市町村から、郡山旧市内へ集中してくる傾向がある。

 さらに、この時期、郡山市への大型店の進出がみられた。1970年代に入って、郡山市内の大型店は、うすい百貨店・津野本店・郡山丸光の3百貨店、スーパーのイトーヨーカ堂と紅丸商事、家具専門店のインテリアダイイチと扇屋木工所の7店だったが、1975年には西友ストア郡山店、丸井郡山店、ダイエー郡山店がそれぞれ営業を開始した。

また、イトーヨーカ堂はヨークベニマルやセブン・イレブンを翼下(よっか)として活動した。ヨークベニマルは、中型店を郊外型ショッピングセンターとして店舗を展開し、福島県に本社を置く企業として、東邦銀行についで2番目の上場企業に成長した。

 郡山卸売業の最も大きな出来事としては、南東北総合卸センターの建設があげられる。1969年、郡山商工会議所が音頭をとって、郡山総合問屋センター造成促進協議会を結成して準備を進め、1976年3月に地元卸商44社、郡山以外に本社を置く県内外の卸商52社の計96社が入居、総工費110億円をかけて完成した。

 また、1969年からは、青果物と水産物の卸売市場として富久山町内に郡山中央市場が建設された。入居卸商は、水産物6社と青果物2社で、水産物6社のうち会津丸中を除く5社が合併して「郡山水産」となった。また、市場の名称も後に郡山地方卸売市場となった。

(仲村哲郎)
第2表 卸売・小売・飲食店の商店数・従業員数・年間商品販売額
商店数 従業員数 年間販売額(千万円)
卸売 小売 飲食店 合計 卸売 小売 飲食店 合計 卸売 小売 飲食店 合計
1966年 490 2,902 710 4,102 6,288 10,359 2,446 19,093 6,141 2,345 187 8,674
1968年 546 3,018 924 4,488 7,318 12,167 3,221 22,706 11,276 3,777 270 15,324
1969年 635 3,068 985 4,688 8,300 12,729 3,136 24,165 15,823 5,781 375 21,981
増減数 89 50 61 200 982 562 △85 1,459 4,547 2,004 105 6,657
増減率(%) 16.3 1.7 6.6 4.4 15.4 4.6 △2.5 6.4 40.3 53.1 39.0 43.4

(『郡山市史6』P532)


中町通り(1973年頃)「郡山の歴史(平成16年版)P179」

 (参考文献)

『郡山市史6』・『郡山の歴史』(平成16年版)