2 交通の発達

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 大合併をした郡山の表玄関となる郡山駅の乗降客数は国民経済の成長を背景に、第2表のように増えた。こうした利用客の増加に伴って、国鉄では1961年に時刻改正を行い、特急・急行・準急の運転本数を増やした。

 この頃福島県の観光のドル箱となっていた会津観光圏への観光客数は、1961年の402万人から1967年には753万人へと大幅に伸びていた。東北本線についで古い歴史をもつ磐越西線は、東京から会津若松間の直通電車を運行する計画が立てられ、1962年から上野―会津若松間直通ディーゼル急行「第二ばんだい」、ディーゼル準急「ひばら」が運行されるようになった。また、1967年には電化が完成した。

 東北新幹線の開通は、1967年9月に国鉄が発表した全国新幹線鉄道網構想の中に、東京と青森を結ぶ東北新幹線も含まれていたことに始まる。1971年10月には新白河・郡山・福島などの停車駅が発表され、新幹線を予定する郡山の新駅舎の工事は1974年にスタートを切り、1980年7月県内のトップを切ってオープンした。東北新幹線の大宮―盛岡間は、1982年6月に開業した。

 福島県内の東北縦貫自動車道は、1973年11月にそのトップを切って郡山―白河間46.7㎞が開通、1974年12月には矢板―白河間49.5㎞が開通し、郡山が首都圏と高速道路で結ばれた。1975年4月には郡山―白石間が開通して福島県内の工事が完了、開通式は喜久田町の郡山インターで行われた。

 交通機関が発達するなかで、自動車の増加も著しい。1960年の郡山市の自動車総台数は1万1,501台であったのが、5年後の1965年には3万7,580台にまで増えた。一方で交通事故も激増し、福島県下の10市は、交通災害を受けた被害者を相互救済しようとの趣旨で、市民交通災害共済制度を制定するに至った。

表2 郡山駅乗降客推移
年度 乗客
万人
降客
万人
1日平均
乗客 人 降客 人
1961 430 423 11,801 11,611
1962 436 430 11,971 11,802
1963 459 451 12,557 12,344
1964 469 468 12,873 12,844
1965 524 518 14,362 14,193

(『郡山市史6』P651)


東北本線 特急(『郡山の歴史』平成16年版P167)