1972(昭和47)年、第43回以後、郡山市のメーデーは統一メーデーで、75年の中心スローガンは、「働く者の団結で生活を向上させ、権利を拡大し、平和を擁護(ようご)し、勤労者・国民のための新しい社会の実現をめざそう。」ということだった。76年からは分裂メーデーとなった。郡山地方労働組合は、春闘を中心に賃金闘争をくりひろげ、郡山地区同盟系の組合は、労働条件の維持向上を中心としてきた。
郡山市労政課は、1982年を起点として、雇用対策事業、勤労者福祉事業、勤労身体障害者教養文化体育施設誘致事業、労働団体等に対する援助を行ってきた。
労働基準法が1988(昭和63)年に改正実施され、週46時間制をスタートさせた。1989年、ユラックス熱海で「ゆとり創造シンポジウム」が開かれ、1990年は市議会で「ゆとり宣言」を決議、市民全体の問題として取りあげた。
郡山地方労働組合会議は、1983年に第35回の定期大会、郡山地区同盟は、1984年第20回の定期大会を迎えて、働く者の雇用と生活・福祉の安定向上のために活動してきたが、1992年に解散し、あらたに連合福島郡山地区連合を結成し、29単組が参加した。「資本からの独立」「政党からの独立」「一致する要求での行動統一」を基本とする郡山地方労働組合総連合は、1989年に結成大会を開き、それ以降活動を続けている。
(仲村哲郎)
(参考文献)
『郡山市史6』・『郡山の歴史』(平成16年版)