中核市は、1994(平成6)年の地方自治法改正によって設けられた新たな都市制度であり、政令指定都市に準ずる事務権限を都道府県から移し、市民に身近な行政の執行を目的としている。郡山市が中核市に移行したのは1997年4月で、2,000余の事務権限が県から移譲され、保健所が設置されるなど市民サービスの向上や地域の特性を生かしたまちづくりの実現に大きな期待が寄せられた。
郡山市はこれまでに5つの総合計画を策定している。1970(昭和45)年に「美しく 明るく栄える郡山」を都市像とする総合計画が作られて以来、それぞれの時代の特性を反映した指針を定め、まちづくりの方向性を明確にしてきた。
1995(平成7)年には第四次総合計画が策定されたが、基本構想には「50万人の人口規模に対応できる個性ある都市の創造」という目標が掲げられ、30万都市からさらなる発展を目指すという方針が打ち出されている。
2008(平成20)年に策定された第5次総合計画に明記されたのは「市民と協働のまちづくり」という文言である。地方分権の進展や厳しい財政事情、税収不足などを背景に、市民の市政参加、参画という形からさらに一歩進んで、行政と市民が互いの責任と役割を果たすことで課題解決を図るという「協働」の概念が盛り込まれたのである。
福島県の中央に位置する地理的な特性もあって、郡山市はすでに都市人口56万人、商圏63万人規模相当の都市活動を行っていると言われる。地方分権の進展により自治体ごとの裁量や財政面での自由度が高まり、都市間競争が進む時代にあって、まさに行政と市民らによる協働のまちづくりが郡山発展の鍵を握っている
(参考文献)
『郡山市史 続編2』 『郡山市史 続編3』
『郡山の歴史(平成16年度出版)』
福島民報・福島民友