1985(昭和60)年のプラザ合意にもとづく円高誘導(ゆうどう)、その結果として生じた不況に対処し、また内需の拡大を図るために、日本政府は大幅な金融緩和(きんゆうかんわ)を行い国内経済は異常なまでの活況を呈(てい)することとなった。しかし株式や土地など「時価資産」への投機を基盤としたこのバブルは1991(平成3)年にはじけ、日本経済は金融機関が軒並み膨大(ぼうだい)な不良債権(ふりょうさいけん)を抱えたまま長期不況に突入することになった。
この事態に対し、日本政府は公債(こうさい)の発行による公共事業の拡大を主要な内容とするケインズ的な財政政策を打った。しかし高度経済成長期には効果のあったこの政策も、このたびは功を奏さなかった。結果として残るのは多額の公的債務(こうてきさいむ)であり、諸外国に比し異常に高い公債残高比率が、その後ずっと日本経済の足を引っ張ることとなった。