日本経済が長期不況から抜け出せない背景には、人口構造の少子高齢化、世界経済のグローバリゼーション、急激な情報革新(IT化)があった。これらは、かつての「循環的(じゅんかんてき)」なものとは異なり、不況を「構造的」なものにする要因である。経済政策もこうした変化に対応するものでなければならないと考えられた。「構造改革」である。
構造改革の考え方によれば、日本経済の弱点は総需要(そうじゅよう)の不足にではなく、生産性の低さにこそある。高い賃金水準(ちんぎんすいじゅん)、流動性の低い労働市場、低生産性部門への過剰(かじょう)な保護策、効率の悪い公共部門などを改革することが政策課題とされた。
経済主体にとって厳しい経営環境となったが、日本経済の底力はまだ健在だった。長らく景気回復の重しとなっていた金融機関の不良債権の処理もおおむね片付き、緩やかながら経済は回復基調に乗りつつあった。ところがそこに襲いかかったのがアメリカを震源地とする新たな金融危機だった(リーマン・ショック)。その打撃は世界中に波及して、影響は郡山の経済をも揺るがした。