バブル経済の破綻と円高を背景に、福島県の工業は国内での新規立地抑制、工場の海外移転といった対応を余儀(よぎ)なくされ、雇用環境(こようかんきょう)も悪化していった。郡山市ではもっとも大きな位置を占めてきた電機機械器具製造業がとくに大きな影響を受けた。
苦しい経済状況の中で、さまざまな経済対策が講じられた。「郡山地域テクノポリス」計画に沿って工業団地の造成、ビッグパレットふくしまの設置、起業家支援などが行われ、また1992年には福島県ハイテクプラザが郡山市に設立されて中小企業の技術開発の拠点に位置づけられた。
経済県都と呼ばれる郡山市は、商業においても県内第1の地位を有している。バブル後の商業の動向は都市構造の変化と深く関係しており、中心市街地の人口減少と郊外人口の増加に対応して複合型商業施設の郊外展開が進んだ。日和田モール、イオンタウン郡山、西部プラザ、ザ・モール郡山といった大型の商業施設が次々に郊外に立地していった。その対極では郡山駅前を中心とする旧市街の商業の不振が不可避であったが、市は「四核構想」と呼ばれる再開発ビジョンを策定し、うすい百貨店のリニューアル、ATi郡山あるいは駅西口再開発ビル・ビッグアイの建設など、核となる施設の整備・立地も進んだ。
郡山市は「中心市街地活性化計画」を策定し、商工会議所などとの協力のもとに、ハード・ソフト両面で多様な対策を講じたが、バブル後の経済環境はきわめて厳しいものがあり、中心市街地の振興はその後も大きな懸案(けんあん)になる。