この様な背景の中で、郡山市工業の推移(第1図)を見ると、2002年までは全ての指標で減少し、事業所数や従業者数はその後も減少・横ばいの傾向を辿(たど)る。一方、製造品出荷額等や粗付加価値額は03年を境に上向き、06年でピークを示し、その後はマイナスに転じる。特に深刻なのは事業所数の減少であり、当然、それは雇用に影響し、ひいては地域における生産性の低下につながる。産業集積がその地域における技術の進歩、さらには経済成長を促す効果を考えると、この状況は極めて深刻である。リーマン・ショック以降は、全ての指標で恒常的な減少傾向にあり、こうした背景には経済のグローバル化に伴う日本企業の国際競争力の低下がある。特に、国内電機メーカーの花形だったテレビ事業は、韓国、中国等の激しい価格攻勢に晒(さら)され、極めて厳しい状況に立たされている。日本企業勢のテレビ事業不振を象徴付けたのが、パナソニックのプラズマパネル工場の生産停止である。この様な状況はパナソニックに限ったことではなく、ソニー、日立、東芝などもテレビ事業からの撤退を余儀なくされている。こうした背景が東北の産業に大きく影響を及ぼすのは当然であり、新規工場の減少や既存企業の廃業・撤退に繋(つな)がっている。